日本の暦は、二通りの表記があって、今年は、「平成」26年で、「西暦」2014年と、カレンダーに併記されてあります。国際化の時代ですから、西洋暦に重点が置かれていますが、『今年は何年ですか?』と聞きますと、「平成」で答える方がまだいらっしゃるようです。パソコンの入力などは、全て西暦になっています。
日本の年号を、『神武、綏靖、安寧、懿德、考昭、孝安、孝霊・・・?』と、途中までしか覚えていませんが、父の御時世は、全て暗記させられていて、いつか、空で父が言っていたのを聞いて、『すげえー』と感心したことがありました。それを聞いて、自分も暗記してみたわけです。父が、旧制の県立中学校に入学する試験の面接で、「年号」を唱えたとか、「教育勅語」を唱えたとかで、『俺は合格できたんだぞ!』と言っていました。
「昭和」から「平成」に替わった時、小渕恵三首相が、墨書した和紙を、両手で提示していたニュースの場面を覚えています。この「平成」とは、中国の古代の書である「史記」の「内平らかに外成る」と、「書経」の「地平らかに天成る」から採られています。中国の皆さんにとって、日本の大切な年号を決めるのに、中国の古書に求めたということは、きっと驚かれることではないでしょうか。同じ漢字文化だからという理由ではなく、古代中華文化への多大な評価と敬意があるからに他なりません。
今や中国では年号を用いません。清朝で王政が終わってしまったからです。天皇制をとる日本ですが、皇族の「宮家」が少なくなっていると、ニュースが伝えています。ヨーロッパでは、イギリスやオランダやデンマークなど、アジアではブルネイやタイなどで、「王制」がとられていますが、「王位継承」は大きな課題のようです。
かつての日本には、「皇紀」と言った年号がありました。第一代の神武天皇の即位から数えたもので、敗戦とともに使われなくなりました。2014年も、もう半年が過ぎようとしています。東アジアに風雲の急が告げられるのでしょうか。それとも海が凪(な)ぐように静まってゆくのでしょうか、余談をゆるしません。「戦争のできる国」になることが、日本の最善の選び取りだとしたら、軍靴を履き、銃を握るのは、若者たちです。叔父を二戦でなくしている私としては、心配でなりません。「雄々しく猛々しい獅子」であるよりは、庭の池の中で悠然と泳ぐ「錦鯉」の方が好いのではないかと願う、華南の地の爽やかな夏の朝の私です。
(写真は、WM<ウイキメディア/今後の表記はこうします>の「錦鯉」です)