家内の独身時代の本籍地は、「東京都文京区湯島切通坂町」です。東京のど真ん中になります。江戸時代には、この近くに「昌平坂学問所」がありました。この学問所は、「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれ、1790年に、五代将軍・徳川綱吉の時に、徳川幕府直轄の学校として開所しています。当時の最高学府が、ここにあったわけです。明治維新以降は、東京大学、東京師範大学(現在に筑波大学)、東京女子師範大学(現在のお茶の水女子大学)に繋げられていきます。「昌平」とは、孔子の生地である「昌平郷(山東省曲阜)」にちなんで命名されているそうです。徳川幕府が、「論語」などを著した孔子に学ぼうとしていたことが分かり、日本の学問のルーツは、やはり中国にあるのです。
一方、私の本籍地は、「島根県出雲市今市町」です。日本有数の宗教色の強い街なのです。父は、母の住所を本籍地として選ぶほど、山陰の街への肝入りが深かったようです。独身時代の父は、松江や出雲で仕事をしていて、そこで母と出会ったようです。近所の若者を連れては、近所の小川に入って、「ドジョウ」を獲るのが好きだったそうです。それででしょうか、『雅、浅草へ柳川を喰いに行こうな!』と、何度も言ってくれました。しかし、それは<空手形>の約束で、果たさないまま父は天に帰って行ってしまいました。
こちらのスーパーには、ナマズやカエル、そしてドジョウが売られております。みなさんは、どう調理して食べるのでしょうか。実は日本で、上司にご馳走になって、一度だけ、<ドジョウ鍋>を食べたことがありました。骨が苦手で、美味しいと思わなかったのです。ですから、父の約束不履行に対して、責めるよりは、『かえってよかった!』と思っているほどです。
私の本籍地は、所帯を持った時に、間借りしていた家の街にしてあります。あれから何度も何度も引越しをしているので、戸籍の抄本や謄本を取り寄せるのに不便を感じながらも、そのままにしてあります。簡単に、本籍地を移せるのだそうですが。
日本から持ってきた重要書類に中に、家内と私の「戸籍抄本」があります。結婚した時に、届け出をするために取りせた二通の残りの一通です。パスポートがあれば十分なのに、なぜ持って来たのか不明なのです。それで先日、「国籍」が話題になって、こちらの方に、それを見せて上げたのです。不思議そうに、<青焼きの抄本>を眺めておいででした。当時は、ゼロックス式の普通コピーのなかった時代ですから、<青写真>なのです。
一体、故郷とはどこなのでしょうか。生まれた村でしょうか。そこは係累が誰も住んでいない村です。村の名称も変わってしまっています。それとも、小学校時代を過ごした街なのでしょうか、家のあった所には、中央道が走っています。それに父母もいなくなっています。そうか、きっと「天」に、私の故郷があるに違いありません!そこに帰って行くこと、それが私の希望なのだと思っている、異国の空の下の週末であります。
(写真は、「町名を探す会」の家内の本籍地の附近の住居表示です)