花の命は短くて夢幻の如し

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上の絵は、長女に送信してもらったものです。極めて印象的ではないでしょうか。どんなタイトルが付いていたのか分かりません。初めて見た時、じっと見入ってしまいました。『何と付けたらいいんだろう?』かと、考え込んでしまったのです。このご婦人には、夕日を浴び、嬉嬉として踊りながら家路をたどった日もあったわけです。

このご婦人は、地球一周分ほど歩いて来たかも知れませんね。お母さんの手につかまりながらヨチヨチ歩きをした日から、この日まで、様々な道の上を、様々な方角に歩いてきたことでしょう。笑いながら、あるいは泣きながら、歩いたのでしょう。好きな人を追って駆け足をしたかも知れません。子を抱き背負いながら病院に通ったかも知れません。戦火を逃れたこともあるかも知れません。この日、この塀の脇を、どんな思いで歩いているのでしょうか

私が、外出時に持ち歩く定期入れに、八葉(はちよう)の写真が入れてあります。その一つは、履歴書に添付するために撮った22歳になったばかりの私の写真です。なぜ持っているのかというと、髪の毛が薄いのは、生まれながらではないことを知ってもらうためなのです。もう一つは、家内の独身時代の写真です。彼女のアルバムから無断で持ち出してしまったもので、華の盛りの二十代のものです。

家内は、最近、『綺麗!』と、よく言われています。何人もの人に、そう言われているのですから、ほんとうなのでしょうか。彼女も、『これまで、そんなこと言われたことがないのにね!』と言いながら嬉しそうなのです。励まし上手な国民性のこちらのみなさんですが、とくに同性で同年代の人から、そう言われています。年寄りくさくなく、いつも喜こんで笑顔でいるからなのでしょう。病気でげっそり痩せたのが、今、元に戻りつつあり、健康が回復していますから、そのせいもありそうです。

気持ちは十八のままなのですが、鏡に映る自分を見つめてみると、青年期ははるか昔のことで、中年はとっくに過ぎ、初老も終え、もはや老齢期にある自分であることを認めざるを得ません。上の階の女子中学生が、結婚したてには、『おねえさん!』と言われていた家内を『奶奶(ナイナイ/おばあちゃん)!』、学生のみなさんが私を、『爸爸(イエイエ/おじいちゃん)』と言うのです。もう孫たちに言われるだけではなくなりました。さて、このご婦人も、そんな思いを抱いて歩いていることでしょうか。『花の命は短くて!』がいいでしょうか。

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