「渡る世間に鬼はなし」と、ある人は人の善意に期待して生きています。ところがある人は、「人を見たら泥棒と思え」で、人を信用することなく、猜疑心で生きているようです。
先日、家内が、躊躇(ちゅうちょ)しながら言い出しました。言いたくはなかったのでしょうが、ちょっと悔しいことが、いつも行くスーパーのレジであったようです。後ろの人が、自分のカバンを、家内が買ったレジ済みの食品の横に、どさっと置いたのだそうです。支払いを済ませ、買い物袋に食品を入れて、送迎バスの乗り場に来て、バスの来るのをベンチで待っていました。
袋の中から、買ったジュースを飲もうとして、取り出そうとしたのですが、見当たらないのです。レジのレシートでチェックしたのですが、4元を払ってあります。時間があったので、そのレジに戻って、しまい忘れたジュースがあるか尋ねたのですが、『没 有(ありませんよ)』と言われたのです。しまい忘れた自分がいけないのですが、ちょっと悔しくて、私に事の顛末を話したわけです。私が聞き出してしまったのですが。
人を疑うことのほとんどない家内ですが、これまで被害者になることが、日本では幾度もありました。私は<抜け目>がないのですが、彼女は、<のんびり屋>で、ちょっと隙があるのです。一つの真理は、「そう言った機会を作った方が悪い」のです。彼女は、そのあと、こう言ったのです。『日本はかつて、多くの物を奪ったのだから、そのお返し!』とです。こう言った<わだかまりの解消法>って好いですね。
こっそり財布の中から、小銭を盗っては、駄菓子屋に飛んで行く、私の後ろ姿を、母は見ては何を思っていたのでしょうか。きっと『五右衛門のようになりません様に!』が、母のいのりだったに違いありません。お陰で、<昭和の五右衛門>にならず、人様に後ろ指をさされることなく、生きてこれました。直接謝らないまま、母は天国に帰ってしまったのですが、天に向かって謝罪をすることにいたしましょう。
(写真は、”ウイキメディア”による「ハイビスカス」です)