躊躇

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「渡る世間に鬼はなし」と、ある人は人の善意に期待して生きています。ところがある人は、「人を見たら泥棒と思え」で、人を信用することなく、猜疑心で生きているようです。

先日、家内が、躊躇(ちゅうちょ)しながら言い出しました。言いたくはなかったのでしょうが、ちょっと悔しいことが、いつも行くスーパーのレジであったようです。後ろの人が、自分のカバンを、家内が買ったレジ済みの食品の横に、どさっと置いたのだそうです。支払いを済ませ、買い物袋に食品を入れて、送迎バスの乗り場に来て、バスの来るのをベンチで待っていました。

袋の中から、買ったジュースを飲もうとして、取り出そうとしたのですが、見当たらないのです。レジのレシートでチェックしたのですが、4元を払ってあります。時間があったので、そのレジに戻って、しまい忘れたジュースがあるか尋ねたのですが、『没 有(ありませんよ)』と言われたのです。しまい忘れた自分がいけないのですが、ちょっと悔しくて、私に事の顛末を話したわけです。私が聞き出してしまったのですが。

人を疑うことのほとんどない家内ですが、これまで被害者になることが、日本では幾度もありました。私は<抜け目>がないのですが、彼女は、<のんびり屋>で、ちょっと隙があるのです。一つの真理は、「そう言った機会を作った方が悪い」のです。彼女は、そのあと、こう言ったのです。『日本はかつて、多くの物を奪ったのだから、そのお返し!』とです。こう言った<わだかまりの解消法>って好いですね。

こっそり財布の中から、小銭を盗っては、駄菓子屋に飛んで行く、私の後ろ姿を、母は見ては何を思っていたのでしょうか。きっと『五右衛門のようになりません様に!』が、母のいのりだったに違いありません。お陰で、<昭和の五右衛門>にならず、人様に後ろ指をさされることなく、生きてこれました。直接謝らないまま、母は天国に帰ってしまったのですが、天に向かって謝罪をすることにいたしましょう。

(写真は、”ウイキメディア”による「ハイビスカス」です)

 

タケノコ

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先日、友人の家を訪ねての帰り、道路脇に止まっていた車のトランクから、皮の剥いてある「筍(たけのこ)」を取り出している人がいました。一抱えもありましたから、きっと、どなたかに分けるのだろうと思ったのです。旬の食材で、なんともいえない春の旬(しゅん)の匂いがしてきました。正直な条件反射で『いいなあ!』と思ってしまったのです。

「筍掘り」に誘われたことがありました。ご自分の山で、急斜面が竹林になっていて、ちょこんと芽を出した頭を見つけて、小さめのスコップで掘るのです。だいぶ掘りました。土や落ち葉の匂いの中から、筍の匂いがしてくるのです。これも春の到来を告げる自然の恵みの香りの一つです。

そう言えば、上の階のご婦人が、「老家(故郷のことです)」で掘った筍を頂いたことがあります。水煮をしたものには比べられなく美味しかったのです。信州に「高菜」という塩漬けの漬物にする野菜があります。「地菜(じな)」とも言うようですが。この古漬けが、玉のように丸められて、近くの「菜市場」と呼ばれているマーケットで売っています。スープに入れたり、炒め物に使ったりして、この地の食材の一つなのです。この他に『これ、日本にもあり、時々食べました!』と、一緒に食卓を囲む時に言うことがあるほど、食べ物が似ています。

我が家の食卓で、よく食べる物に、「秋刀魚」があります。少々小ぶりですが、いつでも解凍されたものが売られています。フライパンで焼いて、大根おろしと醤油で食べると、故郷の日本を思い出すのです。秋の夕方のグラウンドで、練習をしていると、秋刀魚を焼いた煙が流れてきて、空きっ腹が刺激されて、早く家に帰りたくなったことがありました。

なんと言っても、食べ物、食材が、日本に似ていて、驚くことがあります。きっと、多くの物が、この辺りから、日本に向けて輸出されていることでしょう。学生さんが、時々「はにかむ」のですが、日本人にそっくりな表情をされています。「同根同源」、中国と日本の近さを、痛切に感じている初夏であります。

(写真は、”ウイキメディア”による、竹林の中の「タケノコ」です)1