衣替え

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この土曜日に、『一緒に食事をしましょう!』とのお招きで、指定のレストランに公共バスに乗って行きました。バスを降りて、先に郵便ポストで手紙を投函したのです。その道のどこでだったでしょうか、上半身裸の男の人を見かけました。もうすっかり夏が到来したのだと思わされたのです。ここ華南では、時々見かける光景なので驚きませんが、みなさんの服装が小綺麗になり、色鮮やかさがましている中での裸は、ちょっとそぐわなくなってきています。私が長く過ごした日本の社会では、六月一日は、「衣替え」です。制服を着る学生や警察官のみなさんは、冬服から夏服に替える時なのです。

こちらのみなさんは、裸(最近は少なくなってきています)、Tシャツ、長袖、コートなど、実に自在に服装を選んで生きておられます。人によって気温の感じ方が違うのですし、社会制約もありませんから、自由でいいなと思います。それに引き換え、日本では、カンカンに太陽が照りつけているのに、黒の学生服を我慢してきている様子を、以前はよくみかけました。

日本で励行されている「衣替え」も、実は中国の宮廷で行なわれていた習慣を、日本の社会が受け入れて、6月1日から9月30日までが夏服、10月1日から3月31日までが冬服の着用期間になったわけです。地球温暖化、社会の多様化の中で、制服を着なければならないみなさんは、自由にはできないわけです。髪を切って、指定の制服に帽子と黒革靴、ズックの肩掛けカバンで、中学に入学しました。詰襟が、アゴにきつかったのですが、『もう子どもじゃないぜ!』と自覚が湧いてきたのを思い出します。

そう言えば、こちらの大学の先生たちの服装も自由でいいと思っています。これからはジーンズ、七分丈のズボン、ポロシャツ、Tシャツの方がいらっしゃいます。ですから私もネクタイなど締めなくなってしまいました。『来学年は、きちんとしよう!』と思っているのですが、果たしてどうでしょうか。でも空調の備わっていない教室もありますので、教室が決まってからのことになるでしょうか。冬には、厚手のコートは必需品ですし。

しかし、最近の若いみなさんの服装は、渋谷さながらで、秋葉原のファッションで身を飾っている若い女性もおいでです。女性のスカートの着用が、ずいぶん多くなっているのに気付かされております。それにひきかえ、『男性がお腹を出して歩くのだけはやめて欲しいのです!』、そう小声でお願いしておきます。そう、ご馳走になった、イタリアのローマで、日本人の板前に教わった店主の握ってくれた「江戸前ずし」は、とても美味しかったのです。

(写真は、”ウイキメディア”による「にぎり寿司」です)

20回目の家

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生まれてから今まで、住んだ住所を正確に数えて見ました。20ありました。父と一緒に5回、父から独立して今まで15回になります。それは荷造りをし、荷ほどきを繰り返した引越しの回数になるのでしょうか。生まれた家は、いつでしたか、母と兄たちと訪ねた時に、『ここであなたと徹ちゃんが生まれたの!』と、母に教えてもらって分かったのです。沢の谷間で、参拝客を止める旅館の離れで、日当たりの悪い家だったのでしょう。長く人が住まなかったので廃屋のようでした。それからだいぶ経って再訪した時には、崩れ落ちていました。

記憶が深いのは、八王子から越した街でした。そこで二十歳まで住みました。小中高大と、両親と二人の兄と弟と一緒に暮らしたのです。居室が二間と茶の間と台所の小さな家でした。そこに父が風呂場を大きく拡張していました。よく6人もで住んでいたと感心してしまうのですが、それだけ家族の距離が、物理的にも心理的にも近かったことになります。4人で喧嘩を繰り返した家ですが、それででしょうか、今も四人兄弟は人が羨むほど仲が好いのです。

所帯を持ってからでは、生まれ故郷と同じ街に引っ越して、一番下の息子が生まれてから、6人で過ごした家でしょうか。三間と台所で、道路を挟んで事務所がありました。一時期は、そこで10人で生活していたことのある家です。豊かではないのに、人の世話をやいて、同居者を迎えていたのです。近所のみなさんには、随分とゴチャゴチャと賑やかで、迷惑だったことでしょうか。子どもたちも、きっと思い出深い家ではなかったかと思います。

そういえば、長男が生まれて産院から退院してすぐの夜に、国道の工事中にガス管が破れて、消防士に『避難してください!』と言われて、着の身着のまま、長男を入れた衣装ケースを左手で抱え、家内の手を引いて逃げたこともありました。また、上の階でガス爆発の火災があって、被災したこともありました。3人の子と下の子がお腹にいた時でした。命からがら奇跡的に守られたのです。『引火しなかったことが信じられません!』と、現場検証をしていた消防士が言っていましたから。まさに、二回も火の危険の中からの<エクソダス>があったことになります。

20回目の家は、友人の同僚が、ご両親のために買われて、内装を綺麗にしてありました。でもご両親は田舎が良くて、越してこないまま空き家だったのを、お借りしたわけです。夜間の車や酔客の声がうるさいのが玉に瑕(きず)ですが、これまでのどの家よりも快適なのです。そんなこんなで感謝な日々を過ごしております。ご安心ください。

(写真は、前に住んでいた家の裏庭に咲いていた「花」です)