20回目の家

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生まれてから今まで、住んだ住所を正確に数えて見ました。20ありました。父と一緒に5回、父から独立して今まで15回になります。それは荷造りをし、荷ほどきを繰り返した引越しの回数になるのでしょうか。生まれた家は、いつでしたか、母と兄たちと訪ねた時に、『ここであなたと徹ちゃんが生まれたの!』と、母に教えてもらって分かったのです。沢の谷間で、参拝客を止める旅館の離れで、日当たりの悪い家だったのでしょう。長く人が住まなかったので廃屋のようでした。それからだいぶ経って再訪した時には、崩れ落ちていました。

記憶が深いのは、八王子から越した街でした。そこで二十歳まで住みました。小中高大と、両親と二人の兄と弟と一緒に暮らしたのです。居室が二間と茶の間と台所の小さな家でした。そこに父が風呂場を大きく拡張していました。よく6人もで住んでいたと感心してしまうのですが、それだけ家族の距離が、物理的にも心理的にも近かったことになります。4人で喧嘩を繰り返した家ですが、それででしょうか、今も四人兄弟は人が羨むほど仲が好いのです。

所帯を持ってからでは、生まれ故郷と同じ街に引っ越して、一番下の息子が生まれてから、6人で過ごした家でしょうか。三間と台所で、道路を挟んで事務所がありました。一時期は、そこで10人で生活していたことのある家です。豊かではないのに、人の世話をやいて、同居者を迎えていたのです。近所のみなさんには、随分とゴチャゴチャと賑やかで、迷惑だったことでしょうか。子どもたちも、きっと思い出深い家ではなかったかと思います。

そういえば、長男が生まれて産院から退院してすぐの夜に、国道の工事中にガス管が破れて、消防士に『避難してください!』と言われて、着の身着のまま、長男を入れた衣装ケースを左手で抱え、家内の手を引いて逃げたこともありました。また、上の階でガス爆発の火災があって、被災したこともありました。3人の子と下の子がお腹にいた時でした。命からがら奇跡的に守られたのです。『引火しなかったことが信じられません!』と、現場検証をしていた消防士が言っていましたから。まさに、二回も火の危険の中からの<エクソダス>があったことになります。

20回目の家は、友人の同僚が、ご両親のために買われて、内装を綺麗にしてありました。でもご両親は田舎が良くて、越してこないまま空き家だったのを、お借りしたわけです。夜間の車や酔客の声がうるさいのが玉に瑕(きず)ですが、これまでのどの家よりも快適なのです。そんなこんなで感謝な日々を過ごしております。ご安心ください。

(写真は、前に住んでいた家の裏庭に咲いていた「花」です)

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