時々見かける光景です。それも同じような光景なのです。若い男女が、喫茶店でテーブルのコーヒー・カップを前に座っている、どこの国の街でも見かける光景です。
そう言えば、最近、この街でも喫茶店が増えているのです。以前は、師範大学の正門の道路を挟んだ反対側の貸店舗にあっただけで、ほとんど見かけませんでした。その近くに住んでいましたので、たまに入って、外国人の教師仲間と話したり、誘われたりして利用していました。街中で人と会ったりする空間が少なかったので、最近は、あちこちに出店していて、とても便利に利用させてもらえるのです。日本やアメリカの大学生がノートやパソコンを開いたりして、日がな座り込んでいるのを見かけたのですが、ああ言った光景を目にすることができます。
そう、若者たちでした。彼らは、じっと見つめあったり、話し合ったりしていないのです。何をしてるのかと言うと、「手机(携帯電話のことです)」の画面を覗き込んでいるのです。あんなに話し上手の中国人ですのに、会話がないのです。いえ、ジロジロと羨ましそうに眺めているのではありません。通りすがりに目に飛び込んでくる光景なのです。とくに男性が、そうしていますし、たまに二人ともそうしています。せっかく一杯15〜20元のコーヒー代を、二人分払っても一緒にいたい好きな人なのに、『何をしてるんだ!』と言いたくなるほどです。
二人だけの世界にいるのに、別々なことをしているのが、とても気になるのです。数十年前の若者時代、駅のそばに「ルノアール」というチェーン店の喫茶店がありました。帰国時に、新宿と恵比寿で見つけましたから、どこにでも、今でもあるのですね。学校帰りに、映画を見た後とか、試験前にはノート写しとかで二人で、または7、8人で話し込んだりしていました。ケイタイのない時代ですから、目と目を合わせて、なんとか自己アピールをしなければならないわけです。懸命に薄っぺらな知識やニュースを話題に話していたのだと思います。
あれは<古き好き時代>だったのでしょうか。機械に振り回されなかったからです。今日日、ケイタイやPCが主人になってしまって、酷使されている奴隷のように感じてしまいますし、ケイタイが<恋人>になっているような雰囲気が漂っています。これって、世界中の傾向のようですね。『人生を共にしたいほど好きなら、生きている恋人を優先せよ!』 昔の若者より。
(写真は、美味しいコーヒーです)