大陸の空の下で

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 人工衛星に関わる人も、人口問題にあたる人も、食糧問題の対策を考える人も、共通して必要としている人材は、「専門知識」を持ち、実務経験があることです。決して素人は、関わることができない分野ではないでしょうか。私たちが、どうしても手術をしなければならないとしたら、医学を学んだことのない者から受ける患者は皆無です。ですから長く学び、研究してきた専門職が従事しなければなりません。もちろん、一般の人たちに、意見や要望を求めたりはしますが、実務には、プロの専門知識に長けた経験者が当たるのが本筋です。

 小泉元首相が、2005年の衆議院選挙で、いわゆる「小泉チルドレン」を選挙戦に投入し、86人が当選したことがありました。その時に、学校のクラス委員や地域の役員や会社の役職でさえも就いたことのないような、若者を、国会に送ろうとしたことを知った時に、驚いたのです。それに真似たのでしょうか、その後、「小沢チルドレン」と呼ばれた人たちが、選挙で選ばれて、国政にあたっていきました。選挙戦に勝つためには、手段を選ばないような候補者を選出し、その素人たちを国民が選んでしまったという愚かさに、唖然としたのです。

 一国の政(まつりごと)を、責任をもって担っていかなければならない立法府の国会議員、代議士が、こういった形で選ばれる日本の政治の可笑しさを誰もが感じているのではないでしょうか。そういった人たちを選んだのが、わたしたち国民だったのですから、愚かなことではないでしょうか。

 小泉純一郎の祖父に当たる、小泉又次郎は、横須賀海軍の荷役をになった沖仲仕の頭領でした。労務者たちに睨みを効かせるために、満身に刺青を入れていたそうです。しかし彼は、滞り無く海軍から委託された仕事を果たし、労務者たち束ねる能力を持った親分肌の人だったと言われています。そして人の面倒をよく見たので、人に慕われました。やがて横須賀市長を務め、国会議員にも選ばれ、ついには、逓信大臣(郵政大臣のことです)、衆議院議員副議長までも務めたのです。勲一等瑞宝章の栄典に輝いています。人を、生まれ育った町を、祖国を愛した人が、国会に送られるのは好いことです。

 ところが、政治を知らない素人が、頭数を満たすだけで、国会に送られるというのは、国政への酷い侮辱です。政治を、まったく知らない私は、立候補しようなどと考えたこともありません。全くの門外漢だからであります。市町村議会で地方政治を学び、県議になり、そして国政に寄与する、そういった段階を踏まない人は、国政を担う資格はないのではないでしょうか。真に国を憂え、国を導くに値する主張をしっかり持つ人が、国政にあたっていただきたいと、海を隔てた大陸の空の下で願っております。そうでした、私の好きな政治家は、「廣田弘毅」です。

〈写真は、http://ameblo.jp/htarumから、大陸/黄河に沈みゆく落日です)

『コツ、コツ、コン、コン!』

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 子どもの頃の遊び場が、国鉄(現JR)中央線の引込線や保線区や踏切の近くだったので、鉄道業務の裏方の仕事を見聞きすることができました。踏切番の小父さんと父が仲良かったり、弟が可愛いがられていたせいで、踏切の遮断機の上げ下ろしを手伝わせてもらったことが、何度もあります。また、同級生のお父さんが、職員だったので、保線区の作業場の中に入っては、仕事に用いる機具を触らせてもらったりしました。懐中電灯がなかったからでしょうか、カーバイドでアセチレンガスを作って、それを燃やして明かりにしていたのが、何とも不思議でなりませんでした。あの燃える匂いが独特で、あの匂いがまだ鼻腔の中で感じられるようです。

 その道具の一つに、柄が長くて、鉄の部分の細くて小さい「ハンマー」がありました。釘を打つハンマーとは違っていたのです。それは、線路の留め金や、列車の車輪やその周辺の金属部分の「ひび割れ」を、そのハンマーで叩いた音で判断するためだったのです。それを借りては、金属部分を叩いて回ったことがありました。難しい構造でできている車両の鉄製の部分を、「音」で故障箇所を見つけるという職人技が面白かったのです。みんなができないような経験させてもらったのに、国鉄に勤める願いがなかったのは、今思うと、少々残念な気がします。そういえば、父の会社の一つは、国鉄車両のブレーキの部品のメーカーだったのを思い出しました。

 今朝の〈YaHooJapanニュース〉で、「笹子トンネル事故」の記事に、このトンネルだけが、金属の〈打音検査〉をしなかったとありました。この検査に使うのが、「打音ハンマー」なのです。国鉄だけではなく、あらゆる金属製品やコンクリートのひび割れ個所や不具合を見つける作業のために使われているのです。ところが、この笹子トンネルだけ、検査を実施していなかったのだそうです。〈手間のかかる作業〉を嫌う、そういった傾向が現代人にあるのではないでしょうか。友人のお父さんの給料は、父に比べてずいぶん少なかったのでしょうけど、自分の仕事への責任や使命感にかけては、父よりも優っていたに違いありません。利用者の〈命に関わる業務〉だという意識が強かったのではないでしょうか。

 一見して、つまらないような仕事に、プロ意識をもって当たる、そういった〈職人気質〉が、起こりうる過失事故から、この日本全体を守り、防いできたのです。今、日本中の鉄やコンクリートの橋脚、コンクリートのダム、鉄塔、いや日本人の生き方や意識や組織や関係も、この〈打音検査〉、総点検を必要としているのではないでしょうか。何か基本的なものが、日本の社会全体、欠落しているのを、この事故が指摘してるに違いありません。

(写真は、蒸気機関車の打音検査の作業の様子です)

『同じだとは思えない!』

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 昨晩、一組のご夫婦、この方たちと一緒に働いているご婦人、そして私たちの友人と、六人で食事をしました。『日本料理を!』と言ってお招きしたのですが、結局、私の母が、よく作ってくれたハンバーグのレシピに従って、それにアレンジを加えたものと、サラダ、それに「オックステール」のスープ、純和風の煮しめ(牛蒡と大根とコンニャクとサヤエンドウなど)、さらにヨーグルトを使ったデザートでした。結構好評でした。

 この方は、青年実業家で、機材や材料を卸す商事会社をしながら、好きなパンを売る店を三軒、市内で展開しておられるのです。奥様も一緒に働いておられます。『ここのパンが美味しいんです!』と家内の茶飲み友たちが紹介してくれて、ときどき買いに行ったり、店の横のテーブルについて、コーヒーとサンドイッチなどを食べに行っていた店の経営者なのです。もしかしたら、日本のパンよりも美味しいのではないかと思うほどです。フランスからパン粉を輸入し、日本から機材を買って、職人さんたちに作らせているのです。

 先日、店にお会いしに行って、奥様と交わりをしました。ラテ・コーヒーとケーキとパンで歓待してくれました。私が驚いたのは、自分で経営している店の製品ですから、自分の裁量で持ってこさせてテーブルに並べても、ある面では当然なのですが、きちんとご自分でレジに並んで、カードで支払いをして、ご馳走してくださったのです。「公私混同」のない会社での振る舞いを見て、すっかり感心させられてしまったのです。いつでしたか、日本の大手のデパートの社長が、奥さんの下着まで会社のものを持ち出していたことをニュースで聞きましたので、経営者とは、そういったことが許されるのだと思っていたので、意外だったのです。結局、経営者がそうですと、社員も公私混同してしまって、示しがつかなくなるわけです。

 この方は、これまで30数回、日本に出かけておられ、日本支社も開設の準備をされておられます。昨晩の話の中で、こんなことを言っておられました。『東京の街で仕事で出会ったり、街で行き交う今の日本人と、戦争で蛮行をした日本人と同じ日本人だとは思えないのです!』と。おとなしくて、折り目正しくて、気配りがあり、紳士的な現代版の日本人を高く評価しているので、そういった言葉が出たのだと思います。

 「窮鼠猫を噛む」という言葉があります。ネズミは天敵の猫の前では、為す術がないのですが、切羽詰まると小さな牙を向いて、猫に噛みつくこともあるという意味なのです。アジアの植民地化を画策していた欧米諸国の前で、日本は富国強兵で対抗しようとしました。しかし、欧米の圧力に徐々に追い詰められて、武力と産業力を、さらに強大化していきます。対抗したり、伍(ご)して行こうとしたのですが、容積以上に肥大化していった軍隊や産業界が、それを維持していくために、朝鮮半島や中国大陸の東北部を植民地化していくのです。そういった野心的な動きに、『ノー!』と言ったアメリカの思うつぼで、太平洋戦争を始めてしまい、国力の雲泥の差で、結局敗戦の憂き目にあったわけです。まさに、日本な追いつめられたネズミで、筆舌に尽くしがたい戦争犯罪を犯して、抗(あら)ったのですが、結局、猫の爪の前に、打ち倒されてしまったわけです。

 私が、ここ中国に来て、日本人だとわかると、戦時中の日本人のイメージで、自分が見られているのだと感じることがありました。しかし、穏やかな物腰て交わっていくうちに、『父や祖父に聞いた、あの時の日本人とはちがう!』と言った意識で接してくれるようになったのです。それはソウルに行った時にも感じたことでもあります。戦争が終わって、70年近く経つのに、そういった〈過去の物差し〉が生きていることを感じて、マイナスイメージを払拭するのはなかなか難しいのだと思わされたのです。知日派の夫妻は、二人の子どもさんに、日本名でも通用する名をつけておられました。じつに楽しい宵でした。

優先順位

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 この2日の日曜日の朝、中央自動車道の笹子トンネル内で、コンクリート製の天井板が崩落して、9人の方がなくなったとのニュースを聞いて、驚きました。何百回となくハンドルを握って通ったトンネルでしたから、人ごとではなかったのです。自分が走っていた頭上に、そんなに重いコンクリート板がはられていたことを、この事故のニュースで、初めて知ったのです。30数年前の工法では、そういった材質の仕切り版が必要だったのでしょうけど、『最近では、軽量で硬質のプラスチック製の板もあるのに!』、と思うことしきりです。

 『高速料は高い!』と思いながらも、速さを選んで、国道を走ることをやめてしまっていました。その料金の収益は、相当なものがあったのでしょうけど、それを安全性を考えて、道路保守の整備のために、十分に使わなかったのではないでしょうか。収益の最優先の使途は「安全」が第一なのにです。私の30数年の支払った高速料金の総額で、あの板の一枚くらいの交換代金は賄えられたのではないかと、皮算用をしてしまいました。

 『1つの大事故の前に、29の小事故があり、そして300の予兆がある!』というのが、〈ハインリッヒの法則〉です。どんな事件、事故でも、急に起こることは稀です。必ず予兆があるのですから、それを見過ごしてきたことに、今回の事故の原因の一つがあることになります。いつも思うことですが、悲惨な事故が起こってから対策がなされる、病気になってから、やっと健康管理を始めるというのが世の習いです。しかし、収益を上げているのに、それを「安全」のために使わなかった功罪は実に大きいと思うのです。

 まだ中央自動車道が、大月までしかなかった時に、国道20号線の笹子トンネル(正式には〈神笹子隧道〉というそうです)を利用して甲府や諏訪の方に出かけていました。このトンネルが長くて、空気が悪くて、気味が悪かったので、ある時、笹子峠を越える旧甲州街道を走ってみたことがありました。曲がりくくねった山道で、やはりトンネルを利用したほうがいいことが分かったのです。やがて、中央道が勝沼まで伸びました。『長いトンネルだなあ!』というのが、高速道の笹子トンネルを通った時の印象でした。

 日本中に数えきれないほどのトンネルがあり、陸橋があり、地下鉄が地下を走っています。便利になればなるほど、危険度が増してくるのですから、その危険度を軽減するために、繁栄の日本が歩んできた年月の総決算として、もう一度「列島総点検」が必要ではないでしょうか。都内を走る「首都高速」ですが、道幅は狭く、老朽化が進んで、何年も前から、なんとなく、走るときに怖さを感じていました。ここだって大事故が起こりかねない状況下ですから、早期の対策を講じなければならないのではないでしょうか。

 子育て支援をしても、その育っていく生命が危険な目にあったのでは何もなりません。「優先順位」をもう一度再考して欲しいと、一国民として、4人の孫の爺といて、心から願っております。『命あってのモノ種!』です。

(写真は、甲府市から大月に向かう中央道「笹子トンネル」です)

吐く息が白くなりました!

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 さすが12月、バス停でバスを待ちながら、『ハー!』と息を吐きましたら、白くなり始めています。さしもの華南の地にも、冬が訪れてきたようです。雪も氷もない冬ですが、北から吹いてくる風が、だんだん冷たく感じられてきています。それでも日中、陽が出ていますと暖かく、若者たちの中にはTシャツの人もいるのには驚かされます。2006年から1年間過ごした天津の街では、もう、ずいぶんと寒いことでしょう。でも部屋の中には「暖機(nuanji)」という温水の循環式の暖房があって、近くの施設で石炭を燃料にわかされた温水が、送水管でアパートというアパートに供給されて、室内では暖かく過ごすことができるのです。薄着で生活していた、あの年の冬が羨ましく感じられてきます。

 広大な中国大陸、長江より南の地域には、この「暖機」がありません。それで、みなさんは、外で着用している厚手のコートやジャンバーを着たまま、室内で生活をしているのです。その様子を初めて見て、ちょっと驚いたのですが、私たちは、電気ストーブで暖房していますので、結構温かな冬を、室内で過ごすことができています。それでも、最近出店した外資系の大型スーパーなどでは、空調設備が整って、従業員たちは薄い仕事着で立ち働いているのを見かけます。もともと冬の寒い日本の地で生まれて育ちましたので、案外と寒さには強いと自負していましたが、年々、寒さが身にしみてきおります。

 最低気温が4度くらいにはなりますが、やはり、寒さを感じてしまいます。もう2週間ほどで、「冬至」になります。寒ければ寒いだけ、「春節」の到来が待ちどうしく感じる中国のみなさんが、『春よ来い!』と願う、「春待望」の心境が分かり始めて参りました。それでも、黄色や淡い桃色の花が、木々の梢で咲いてるを見て、華南の地であることを感じさせられている師走の朝であります。

〈写真は、長江上流、雲南省の金沙江の「虎跳峡」です)