母恋し

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 秋になると、と言っても、今年は「短い秋」だったので、秋を満喫しないままなのでしょうか。作詞がサトーハチロー、作曲が中田 喜直の「ちいさい秋みつけた」が思いに浮かんできたのです。

1)だれかさんが だれかさんが
 だれかさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた
 めかくし鬼さん 手のなる方へ
 すましたお耳に かすかにしみた
 よんでる口ぶえ もず)の声
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた

2)だれかさんが だれかさんが
 だれかさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 見つけた
 おへやは北向き くもりのガラス
 うつろな目の色 とかしたミルク
 わずかなすきから 秋の風
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた

3)だれかさんが だれかさんが
 だれかさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 見つけた
 むかしの むかしの
 風見の鳥の
 ぼやけたとさかに
 はぜの葉ひとつ
 はぜの葉赤くて 入日色
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた

 「異端児」と言ったらいいのでしょうか、子どもの頃から、どうにも手のつけられない不良少年だったそうで、山手線内にあった留置場のほとんど全てに留置されたそうで、感化院に収容された少年期を過ごしたのが、こんなに naive な詩を作った男、サトウハチローの少年期だったのです。

 もしかしたら、こんな詩心は、不良だからこそ、心の中から浮かび上がり、ほとばしり出てきたのでしょうか。繊細さや甘ったれさや厳しさ、そして豊かな感情に溢れて詩を詠んだ人でした。西条八十という作詞家に、17歳から学んで、20歳頃から詩作をし、雑誌に発表したようです。お父さんが、劇作家で俳人の佐藤紅緑でした。身持ちの悪い父親で、後に両親は離婚しています。そんな人生の悲しみを経験したハチローは、「悲しくてやりきれない」を読みました。

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか

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 お母さんは仙台の出身で、多感な中学時代に生き別れをしています。母親と離婚をした父親に反発して、拗ねた少年期をハチローは過ごすのです。忘れない「母の匂い」を求めたのでしょうか、それで、父親の故郷には数度でしたが、お母さんの故郷、陸奥仙台には50回も訪ねたそうです。そして生涯に3000もの母についての詩を詠んでいるのです。ハチローの「お母さんの匂い」です。

おかさんの匂いは どんな どんな匂い
朝はかまどの けむりの匂い
 昼はおべんとの おかずの匂い
 晩にはかすかな おふろの匂い

おかあさんの匂いは どんな どんな匂い
春はうれしい ちょうじの匂い
 秋はやさしい もくせいの匂い
 冬はひなたの ふとんの匂い

おかあさんの匂いは どんな どんな匂い
ひざにだかれりゃ くず湯の匂い
 おはなしなされば おも湯の匂い
 うたをうたえば レモンの匂い

おかあさんの匂いは どんな どんな匂い
ねえさんかいもうとに よくにた匂い
 おもどに いろりに ただよう匂い
 わかった わたしの おうちの匂い

 私の父も、家のしきたりや格などの理由で、父を産んだ母は家を出されています。継母に育てられますが、父の多感な中学の時に家を出て、東京にあった親戚の家から旧制の中学に通ったようです。子どもの頃、時々、畳の上に横になった父が、このハチローが作詞した「めんこい仔馬」を口ずさんでいたのです。

1 ぬれた仔馬のたてがみを
  なでりゃ両手に朝のつゆ
  呼べば答えてめんこいぞ オーラ
  かけていこうかよ 丘の道
  ハイド ハイドウ 丘の道

2 わらの上から育ててよ
  今じゃ毛なみも光ってる
  おなかこわすな 風邪ひくな オーラ
  元気に高くないてみろ
  ハイド ハイドウ ないてみろ

3 西のお空は夕焼けだ
  仔馬かえろう おうちには
  おまえの母さん まっている オーラ
  歌ってやろかよ 山の歌
  ハイド ハイドウ 山の歌

4 月が出た出た まんまるだ
  仔馬のおへやも明るいぞ
  よい夢ごらんよ ねんねしな オーラ
  あしたは朝からまたあそぼ
  ハイド ハイドウ またあそぼ

 この詩にも、「母さん」が出てきますから、自分が「めんこい仔馬」でもあるかのように、お母さんを慕い、思い出していたのでしょうか。母子分離が強制的なものであったことは、やはり一生に影を落としてしまうのでしょうか。母子もののドラマを観ていて、涙を流した、追憶の中の父の辛い過去を見たようでした。

 『しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。(詩篇22910節)』

 母親の愛や優しさを得られなかった父も、亡くなる直前に、上の兄に導かれて、ローマ人への手紙1010節に従って、主をキリストと告白したのです。母が子を抱くように、救い主に抱かれたのであります。
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