この不思議さに

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 太陽から照りつける光と熱に、日陰の涼を求めて逃げ込んでいたのに、昨日は、日光浴をしたくなるほどでした。この12週の違いに驚かされいます。地球にある日本列島との距離は変わらないのに、陽の射してくる角度が、被写体の地球の傾きによって違うのです。  

 今日は、1115日で、立冬から1週間が過ぎたのですから、真夏は真上にあって、そのまま西の空に太陽が落ちていくのに、今日は、窓から入り込んで、この居間の中ほどまで光が入ってくるようになっています。

 この違いをもたらす、地球の南北の地軸の23.4度の傾きは何なんでしょうか。どうしてこの角度なのでしょうか。驚くほどの知恵によって定められているのは、太陽と地球の距離、そして地球の回転軸の傾きも、小学生の私を驚かせたのです。創造者の手による以外考えられません。

 それよりも、地球を動かしている動力エンジンはどこにあるのでしょうか。燃料なしでどうして動くのでしょうか。同じ軌道を自転しながら動いて、一年周期であることもです。太陽の光は、一億4960万キロも離れているのに、毎秒299792.458kmで速さで、約8秒で届くのだそうです。

 人が生活するのに見合った温度で、地球に届くのは、子どもの頃から不思議中の不思議でした。夏の自動車のボンネットの鉄板を触ったら火傷をするのに、夏場は皮膚が黒くはなりますが、焼け焦げないのはどうしてだろうかともp思ったものです。

 地球の重量は、6580000000000000000000トン、一方、太陽(ガスでできてるようです)は、2000000000000000000000000000000 kgです。こんな重さが何によって支えられているのでしょうか。支えがないのに、どのようにして空間に置かれているのでしょうか。この両者の関わりや、バランスは、何よっているのでしょうか。

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 この地球と太陽も、そして大宇宙も、だれが設計したのでしょうか、宇宙の広がりは無限大であること、これもスーパーコンピューターでも、極めることにできない謎なのではないでしょうか。この智慧を、偶然や進化で回答できるのでしょうか。

 『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。(詩篇1916節)』

 聖書は、「御手のわざ」だと言います。太陽は、空気のバランスを保ち、熱と光で植物を生じさせ、動物を育てています。殺菌までしてしまうのです。あんなに身を固くしていた冬の蕾は、この光が来るときに、開いてしまいます。この創造の話を聞いて納得をした日が思い出されます。

 「小宇宙」と言われる人間の身体を通り上げるなら、神さまが、自分の造り主であることを認め、畏怖せざるを得ません。そんな私たちに、『愛してる(イザヤ43章3節)』と言ってくださる神さまに、ただただ感謝の溢れる今曉です。

(先日の朝焼け、次男の撮った星空です)

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