皇帝ダリアと栄光の王

 

.

.

 この花は、近所の方からいただいた「皇帝ダリア」です。去年もいただいたのですが、木のように高いところに咲いていて、それを手折ってくださったのです。高いところに立って、国民の生活ぶりをつぶさにながめて、善政を行う真の指導者を思わせるような花なのです。

 お城の高楼に登っては、四方を眺めるお殿さまがいて、民は安心して暮らせるのです。この下野国には、小藩がいくつもあったようで、ここ栃木にも、中世には皆川城があったそうです。皆川氏の居城でしたが、今では城址跡になっています。どんなお殿さまだったのでしょうか。

 『7門よなんぢらの首をあげよ とこしへの戸よあがれ 榮光の王いりたまはん 24:8えいくわうの王はたれなるか ちからをもちたまふ猛きヱホバなり 戰闘にたけきヱホバなり 24:9門よなんぢらの首をあげよ とこしへの戸よあがれ 榮光の王いりたまはん 24:10この榮光の王はたれなるか 萬軍のヱホバ是ぞえいくわうの王なるセラ(文語訳聖書 詩篇24710節)』

 私にも王がいます。「栄光の王」、「万軍の主」と言われる神で、人の子の姿をとって来てくださったイエスさまなのです。十字架に死なれ、蘇られて、今も、いと高き天から見下ろして、見守り続けてくださっておいでです。

.

羅馬書之研究

.

.

 内村鑑三著の「羅馬書之研究」を開いて読み始めたところです。この書の序の箇所に次のようにあります。

『・・・また余の四十七年間の信仰の生涯において、余がもつとも注意して研究したりと思うはこの書である。余はロマ書を講じて、實は余自身の信仰を語つたのである。ゆえに六十囘にわたりしこの講義は、余にとりては快楽の連続であつた。これを百囘または二百囘となすも、余は倦怠をおぼえなかつたであろう。神の思惑の福音の講述である。キリストにあらわれたる天父の愛の宣傳である。これにまさる愉楽(たのしみ)の、他にありようはずはない。余は第六十囘の最後の講義をなし終つたときに、惜別の涙を禁じ得なかつた。』


.
.

 どれほどの救い主キリストへの愛と感謝と喜びにあふれていたかが分かります。共に奉仕の助けをした、内村鑑三門徒への感謝などが深くあったようです。第一講に、こんなことが述べられています。

 『・・・厳密の意味においてキリスト敎の經典と言うべきは新約聖書である。何となれば、キリスト敎そのものは、その完き形においては、キリストの出現をもつて始まつたものであるからである。而してこの新約聖書は、その分量においては決していわゆる大著述と稱せらるべきものではない。五号活字をもつて四六判に組みて、わずかに數百頁にわたるにすぎない。』

 『然るにこの一小著述中に、全世界を幾度も改造したる歴史を有し、なお将來も然かする力を具備せる一書のふくまるるは、眞に奇蹟中の奇蹟であると言わねばならぬ。この一書こそ、實に我らの今囘の研究の題目たるロマ書である。』

 『實に聖書は寶の庫である。その中に、採つて以て我らの心靈の糧とすべきものはかぎりなくある。從つて我らは研究すべき題目のすくなきに苦しまずして、かえつて多きに苦しむのである。しかしながら、福音の中心たる十字架すなわち贖罪問題について研究せんとするときは、この問題に關して徹底的説明を提供したるロマ書を採るを最上の道とすること、勿論である。』

 『キリスト敎の専有的敎義は贖罪である。もとより罪の赦免は佛敎にもある。浄土眞宗のごときは、これをもつて生命とせる宗敎である。さあれ彼になくして我にあるものは實にキリストの十字架である。いかなる宗敎か、その敎祖の死の上に赦罪の信仰を立脚せしむるものがあるか。ただの赦罪の信仰ではない、實にイエス・キリストの贖罪による赦罪の信仰である。これキリスト敎の特有物にして、福音の福音たる處以また實にここに存するのである。ゆえに今日この信仰を提唱するは、キリスト敎を他の宗敎と截別(せつべつ)せしむる效果あるとともに、近時唱道せらるる贖罪抜きのキリスト敎と我らの信ずるキリスト敎との相違を明らかならしむる、もつとも有力なる道である。この意味において、ロマ書の研究はすこぶる有價値であると言わねばならぬ。』

.

.

 この研究書は、19211922年までの4年間、東京の大手町の大日本私立衛生會の講堂で、700人もの聴衆になされた「羅馬書講演」を、1924年にまとめで出版した一書です。1930年に内村が亡くなっていますから、5963歳の4年間にわたってなした講演記録と言えるでしょうか。上記のような書き出しを、内村はしています。

 この方は、東京英語学校、札幌農学校、アマースト大学で農学や水産学や理学を学んだ人で、いわゆる神学校や聖書学校では学んでいない、独学の信徒でした。ところが、専門の神学を学んだ人たちは、内村を聖書教師として認めていたのでしょう、彼の著した書に大いに学んできているのです。

 内村鑑三と同じほどの年齢で召された私を教え導いてくださった宣教師も、独学の聖書教師でした。札幌の教会で奉仕されていた頃でしょうか、彼の生涯の労作の「ローマ人の手紙の研究」を、『準、あなただったら、これを学んで理解してくれるでしょう!」と言って、送ってくれました。CDとテキストが手元にもあります。

 これから、自分も説経者として召され、日本と隣国で聖書を講じた集大成のようにして、もう一度、組織的に、「ローマ書」を学ぼうと願っています。私が、自分の救いの確信を得たのは、このローマ人へ手紙ではなく、エペソ人への手紙の次のみことばでした。

 『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ289節)』

 これは、電撃的に迫ったものであって、救いの確信がきたのです。その時から、私にも、主への愛や感謝や喜びが、沸々として起こってきたのです。みことばに感動するという経験は、説教者の特権でしょうか。内村鑑三は、その特権を得て、関東大震災が起こる前の大正期に、真理に飢え渇く聴衆に語ったのです。

 パウロは、「福音」のために選び分けられたものであると語り、その「福音」を誠実に弁明し、「よき訪れ(ΕυαγγέλιοEvangélio)」である、キリスト・イエスの十字架の福音を解き明かしたのです。多くの聖書研究者が、聖書の学びの集大成のように、「ローマ人への手紙」に目を止め続けてきているようです。その一人が、内村鑑三でした。

(「福音を説くパウロ」、「羅馬書之研究」、「宣教地図」です)

.