信仰と教育の系譜

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 「日本の良心」を培うために、クリスチャンの果たした役割は大きかったと言えます。東海道の神奈川宿(現在の横浜市神奈川区)に、古刹の成仏寺がありますが、幕府はアメリカ人医師のヘボン(James Curtis Hepburn)の宿舎と施療所のために、ここを使うようにと、幕府は定めました。横浜港に、ヘボンが上陸したのは、1859年の秋のことでした。

 このヘボンは、おもに眼科医で、当時の日本には眼を病んだ人が多く、彼らの治療のために心血を注いだのです。「毛唐(外国人への蔑称です)」を撃つ機会を探って使用人として、ヘボン邸に同居した武士(身分を隠した刺客でした)が、その機会を探っていました。ヘボンの生活振りや挙動を見守るのですが、何の非も見つからないばかりか、その人格の高さに平伏し、ともに居住する必要を感じずに、暇乞いを願って、去ったと言われています。

 このヘボンは、ヘボン式ローマ字を作り、英和辞書を作り、聖書の翻訳をしています。さらに教育にも着手し、「ヘボン塾」を開学しています。後の明治学院の始まりでした。

 医療、宣教、教育などの面で、日本の近代化に果たした役割は、実に大きなものがありました。とくに教育が果たした実りには驚かされます。横浜で成された業だけではなく、熊本、松江、弘前などでも、聖書に基づいた宣教、医療、教育をもって、多大な影響力は、二十一世紀の今に至っても及んでいます。

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 札幌に農学校が開校されにあたって、来日した人が、あのクラークでした。1876年に来日し、翌年に離日していて、札幌には9ヶ月しかいませんでした。ヘボン上陸から17年後のことです。教頭職という立場で、教壇に立つにあたって、北海道開拓使の清田清隆に、農学を教えるばかりではなく、道徳教育を要請したのです。そこで、「聖書」を基にして、それをしたいと願ったクラークに、頭を縦に降らなかったのですが、結局は、清田が折れて、「聖書」が用いられたのです。

 クラーク(18261886)は、マサチューセッツ農科大学、アマースト校の校長でしたが、南北戦争に従軍した、北軍の士官でもあったのです。アマースト大学のカリキュラムで、教育が行われました。一期生が16名いたのですが、英語で教育がなされ、彼らには英語の基礎はありながら懸命に、辞書を引きながら学んだのです。しかし彼らは、187735日の日付で、「イエスを信ずる者の盟約」を結ぶのです。

 明治の初年、長い封建時代が終わって間も無く、札幌にやって来た若者たちが、イエスをキリストと信じたのには、驚くばかりの出来事でした。その一期生の主だった人は、佐藤昌介(北海道帝国大学総長)、大島正健(言語学者、旧制甲府中学校校長)、内田瀞(牧場主)、黒岩四方之進(牧場主)、伊藤一隆(道庁勤務を経て石油会社経営)、渡瀬寅次郎(教育者、種苗店経営)、柳本通義(台湾官吏)でした。

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 この他に、新渡戸稲造、内村鑑三が、二期生にいました。直接クラークの薫陶を受けなかった青年たちが、キリスト者として、後の日本や世界に大きな感化を及ぼすのです。とくに、教育や伝道で内村の働き、そして国際連盟での新渡戸の果たした働きは驚くほどのものがあります。

 私たちの在華中、説教の通訳や訪問の手伝いや結婚式の試式など、生活に全般にわたって、手助けしてくださった方は、省立の師範大学法学部の教師をされておいででした。彼女は、裁判官の仕事を経て、日本に留学し、広島大学法学部で、博士号を取得されておいででした。先日も、家内の見舞いのために2週間ほどの間、訪ねてくださったのです。
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 その広島大学は、戦後、総合大学として新しい一歩を記すのですが、その初代学長をされたのが、文部大臣や国会議員を歴任した森戸辰男でした。被爆地の復興とともに、若者教育を担った福山藩士の背景の人で、一校、東京帝国大学に学んでいます。一高時代は、校長であった新渡戸稲造の倫理学の講座に学んで、人格上の深い感銘を受けたのだそうです。この人の精神的バックボーンには、そんな出会いがあったのです。

 この森戸辰男は、どのように、新しい大学を導いたのでしょうか。どうも、新渡戸稲造の教育観の強い感化が見られます。

  『新渡戸 の教育は人格教育といわれています。森戸は、新渡戸 教育・大学の目標を、「職業的能率ではなく、専門的 知識ではなく、人格の涵養」にあると考え、それを体 験的に「吾々の精神の一般教育(ゼネラル・カルチュ )であった」としたのでありました。  森戸にとって大学とは、人格の涵養を行う場所であ り、大学教授とは教育者であったと。そして、森戸に とって新渡戸教育が新制大学――現在、広島大学は新制広島大学になっているわけですが――における一般 教育の原型と森戸は述べており、また、それを実践し ていきました。( 広島大学文書館 館長  一)』

 この、クラーク、クラークの感化を受けた農学校の一期生、新渡戸稲造、森戸辰男に至る「信仰の系譜」を眺めて、そんな教育理念で行われた広島大学で学び、広島の教会で信仰復興をした姉妹に至る流れは、神さまのご計画と導きに違いありません。この姉妹は、私たちの帰国後、教会のお世話を担って、愛兄姉とともに立っておいでです。

(ヘボン、クラーク、新渡戸、新渡戸と内村、新渡戸とこの中に森戸がいます)
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