夢を解き放つ世代に

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 新宿駅東口の近くに、店の名前は忘れてしまったのですが、昔、大きな大衆食堂があって、よく入って食べたことがありました。どこの駅前も、駅周辺は区画整理されて、ああ言った店は、もう無くなってしまったのでしょうか。

 あの東口と反対の西口の淀橋浄水場の方に回る地下道が、汚れていて、そんな所で寝起きをする人たちがいたのを覚えています。駅の西口のガード寄りに、「思い出横丁(今はそう呼んでいるようですが)」の一間か一間半ほどの間口の食べ物屋が、軒を連ねていて、高校のバスケット部の試合のボール持ちで応援に行った帰りに、そこで、先輩にご馳走になりました。なんだか訳ありの物だったかも知れませんが、先輩につられて食べて、美味しかったのです。

 高野フルーツ店もありましたが、高級な果物が売られていて、パーラーの店もあったと思います、一、二度入ったでしょうか。食べ物の記憶しかないのは、一に食べることが関心事の中学生だったからでしょうか。

 学校に通うようになって、落語の寄席の末廣亭にも出入りするようになりました。ちょっと背伸びしてみたのでしょうか、級友を連れて一、二度入ったことがありました。格好をつけてみたのですが、まだ落語の味など味わうほどではなかったのです。

 札幌から上京していた同級生を、この末廣亭に誘ったことがあったのです。いいところを見せたくて、木戸を潜ったのですが、何か落ち着きませんでした。けっきょく終わりまでいて、そこを出て駅まで連れて行き、小田急線で帰っていく彼女を見送ったのです。

 卒業式の時、彼女の両親に、『楽しいところに娘を連れて行ってもらったそうでありがとうございました!』と言って、お礼を言われてしまったのです。彼女は故郷に帰り、そこから二、三度手紙をもらって、行き来がなくなってしまいました。今は、素敵なおばあちゃんをしておいででしょうか。

 その新宿で、駅近の喫茶店に入って、〈青っくさい談義〉を繰り返して、互いに刺激し合ったのです。いやにコーヒーが苦かったのが忘れられません。みんなどうしてるのでしょうか。あの頃、一緒に時を持ち過ごした級友たち、遊び仲間との繋がりは、そう強くなかったのですが、みなさんそうなのでしょうか。青い青春の色も、色褪せて、少々思い出が寂しい感がいたします。

 でも、この年齢には年齢なりに、磨かれた真鍮の名残が残されていて、燻銀の世代になっているのでしょうか。聖書は、「夢を見る世代(使徒217節)」だと言っています。ふつうに、夢を見るのは、青年であると言われますが、老人こそ夢を見るのだと、聖書は言います。浮世を生き抜いてきて、来世への期待感に溢れながら、未来に向かって、夢を解き放つ世代であると言っているに違いありません。

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