古商都の今

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 家の近くに、「コエド市場(まちの駅)」があります。FMラジオのスタジオもあって、パンやお土産、近くの農家が作る季節の果物や野菜果物などが売られていて、けっこう便利です。コーヒー・コーナーもあって、「蔵の街」を観光で訪れるみなさんが、よく出入りしておいでです。「道の駅」の街中版でしょうか。

 この「道の駅」は、最新統計によると、全国に、1209 箇所ほどあるそうです。車社会の中で、新しい形態の複合商業施設で、駐車場、商業施設、休憩所、食堂などを兼ね備えたスポットで、人気度が高くなっているようです。車の運転をしなくなった私も、時々、市内の循環バスや自転車で出掛けています。

 とくに地元の農家が、農産品を記名入りで売っていて、運送費や宣伝などが省かれるからでしょうか、安く買うことができるのと、新鮮さが相まって人気の場所になっています。やはり、この便利なSpot も、功罪があって、社会的な弱者の〈われわれ世代〉に、問題を投げかけているそうです。

 13年ぶりに帰国して、たまに帰国しても短期間で、戻ると言った生活を繰り返してきましたから、日本の世情に疎くなって、ふと頭を上げてみたり、市役所に行ってみたりすると、もう歴とした「後期高齢者」になっていたのです。そう医療費負担の減額などの恩典に浴する世代になっているのに気付いたのです。

 車を利用しない、この高齢者にとっては、近場に、一軒でほとんどの物が揃う、スーパーマーケットがあることは大きな助けです。ここの家の周りは、かつては人の波が押し寄せるほどの賑わいだったのですが、今では多くの店がシャッターを下ろしてしまって、空き地も目立っています。私たちよりも少し年嵩の老い、ご婦人たちに独り住まいが多いようです。5年前に住み始めた頃にあった八百屋さんも、お店を閉めてしまい、クリーニング屋も消えてゆき、小さな魚屋が残っているだけです。

 おばあちゃんが、手押し車を押して買いに行ったスーパーも閉まり、遠道を買い物に行くお姿を見るにつけ、運動にはなりはしますが、ちょっと辛そうです。おっつけ私たちも、そんな姿で、人に見られるようになるのでしょうか。社会は、便利さや軽便さで動いていて、世の中の弱い立場の人たちは忘れられていくのでしょう。

 この「道の駅」などは、過疎の街中に住む人たちには、縁の遠い存在で、お嬢さんや息子さんが、たまに来て、通院の助けのついでに、連れて行ってもらうだけで、日常の生活には、用無しです。大型スーパーの進出で、商店が潰れ、小ぢんまりしたスーパーもやめてしまい、そこに自転車で出掛けていた人たちも、もうお歳やお病気で、乗れなくなってしまっています。さらにアメリカ資本の超大型の店舗がお隣の街にできて、少なからず既存のスーパーなども影響が出ているのでしょう。

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 細々と経営していたお店も、「道の駅」の近くの車でしか行けない距離の住民、とくにお年寄りを支えていた小型スーパーが、一方が栄えるにつれて、もう一方が衰えて、ついには閉店になっているのが現状です。こう言った、「買い物難民」の中には、タクシーを使える人はいいのですが、なかなか買い物の難しい世になっています。

 引き売りの軽自動車の移動店舗だって、山の方に住む人には便利でも、街中の狭間に生活している人には、届き切れてないのです。ここに、軽自動車で、週一回やって来る、高級豆腐の挽き売りがあります。紹介していただきましたが、だいぶ高額なので、いつの間にか手が引っ込んでしまいました。

 駅前のスーパーに代わって、郊外のバイパス沿いに、大型店が出店し、地方都市でも、駅周辺の過疎化が進み、今度は、また次の波が襲ってきているようです。以前は10年のサイクルで変化していたようですが、今は45年の間に変化が起こっているのでしょう。event があった時、どこからやって来られたか、昔栄えた商店街に、人の波ができていて、驚きました。その空き地に kitchen car や屋台が出て賑わっていたのです。住む街の様子です。

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