[街]駒ヶ根

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 次女の主人が、JETの英語教師として、長野県の南信の高等学校に勤めていたことがあります。このJETプログラムには、「外国語指導助手(ALTAssistant Language Teacher)」、「国際交流員(CIR)」、「スポーツ国際交流員(SEA)」の3つの職種があり、地域の外国語教育の普及と、国際化の推進で、それに励んで3年ほど、励んでいたでしょうか。

 阿南町、飯田市などの高校に勤務する彼らを訪ねるために、よく通過したのが、「駒ヶ根市」でした。彼らの最初の子は、飯田市立病院で生まれているのです。そんなわけで、車で中央自動車道を使って、時には伊北インターチェンジで下りて、国道153号線で、阿南町や飯田市に出掛けました。

 そこは南アルプスの西側の山岳部の間にある地で、りんご園やブドウ園や梨園などでの果物栽培が盛んなのです。かつては米作や蚕が行われていたのですが、転作でしょうか。主力は果物のようです。日本の農村は、かつては、どこも貧しかったようです。戦前、満州開拓の呼び声で、貧しい農家の方々が、それに応答したのです。とくに下條村の農民の多くが、そのために海を渡離、戦争末期、から戦後にかけては、大変な困難を経験したのです。

 高速道の伊北ICで下りて、県道19号線を走ると、箕輪や伊那に続いて、駒ヶ根市があるのです。その街に車でさしかかった時、突然、この街を、「終の住処(ついのすみか)」にしたいとの思いがやってきたのです。不思議な想いで、自分自身が驚いてしまいました。

 射していた陽の光、流れていた風、山肌の色、畑や田んぼの土の匂い、今までにかいだことも、感じたことものないものを、強烈に感じたからでした。それまで、そんな印象を受け取ったことがありませんでしたので、五感で感じるものだけではなく、深い心で中で、何かを感じたという経験だったのです。

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 今は、そんなに強い思いは無くなったのですが、実は、どこでも住み始めると、その地への愛着でしょうか、原風景への回帰なのでしょうか。または愛惜でしょうか、すぐに住んでみたくなるのは、何か麻疹のような、初恋の回想のようなものに似ているのかも知れません。

 ここは、木曽山脈と伊那山地との間の伊那谷の中央に位置し、諏訪湖から流れてくる天竜川の河岸段丘に位置しています。スズランが市花で、赤松が市木で、32万の人口を要す街です。この地域で、注目されているのが、「ソースカツ丼」なのです。カツライスの具の千切りキャベツを、丼の米飯の上にのせ、そこに揚げたトンカツを乗せ、特製の薄口ソースをかけるのです。煮たカツ丼しか食べたことのない私を驚かせました。市内には、三十数店舗の「ソースカツ丼店」があるのです。

 県北地域とも、南信の飯田、県南の諏訪地方とも違った趣の街です。なんか落ち着いて、老後を過ごせる感じがして、終の住処のと思い立ったのですが、私たちを導かれる神さまは、栃木に導かれたのです。空気も水も食べ物も、そして隣人たちも素敵な人が多いのです。もしもう一度越すことが許されるなら、駒ヶ根がいいなの、2023年のたけなわの春です。

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