永生の望みの中にあるから

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『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15章13節)』

 私の家内が学んだ学校の玄関の前に、浮き輪の形をした池があるのです。以前、病中の恩師を見舞う家内を、車に乗せて、この学校にお邪魔した時に、彼女から、その池の建設までの経緯や背景を聞いたのです。そんなに大きいもではなく、何の変哲もない池でした。しかし、それは一人の宣教師の「隣人愛」の死を記念して、教職員や卒業生の寄金によって作られてものだそうです。

 1954年(昭和29年)9月のことでした。台風15号が、勢力を増して北上していました。函館港から出港した青函連絡船の洞爺丸が、数キロの海上にあった時、突風を受けて転覆してしまったのです。海難事故としては、あのタイタニック号の座礁事故の次にでしょうか、犠牲者が多かったと言われいます。乗客乗員合わせて1175人の方が亡くなられ、わずか163人だけが生存された事故でした。

 その亡くなれた方の中に、少なくとも二人のクリスチャンがいらっしゃいました。一人は、YMCAで奉仕をされていたアメリカ人のディーン・リーバー氏(33才)で、仙台の奉仕に向かう途次でした。もう一人は、農村伝道神学校の校長をされていたアメリカ人のアルフレッド・ストーン氏(52才)で、道内で農村伝道での奉仕を終えて、長野県に向かうところだったと言われています。お二人とも、日本と日本人を愛して福音宣教のために来てくださった方々だったのです。

 沈没しつつある間に、泣き叫ぶ乗客を励ましながら、救命胴衣の着用を手助けした二人の宣教師は、最後に自分の救命胴衣を日本の若者に与え、召されたのです。リーバー氏は恐怖に逃げ惑う子連れのお母さんに、ストーン氏は若者に、彼らの救命の浮き輪を渡して、亡くなられたと伝えられています。

 聖書が説き、そしてイエスさまがお話になられた、「人が、その友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハネ15・13)」とのことばを、驚くほどの「愛」をもって実践されたことになります。ですから、その池は、「救命の浮き輪」を表していて、ドーナッツのような形をしていました。ですから、ただの池ではなかったわけです。

 そのストーン宣教師が校長をされていた学校に、保育科があって、家内は、そこに学んだのです。彼が、校長をしていた当時は、東京都下の日野市に学校があり、子どもの頃に、私が遊びまわった野原の近くにあったのを、後になって知りました。あの勇名をはせた大規模の公団住宅が建設された土地だったのです。

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 都市型の伝道が人気なのですが、農村復興を掲げて、農村にも福音を伝達し、そこにキリスト教会を建て上げようとしたビジョンに感動させられるのです。いつでしたか、この学校の卒業生と同席したことがあります。週日は、ダンプの運転をされて走り回りますが、土曜日に仕事を終えると、教会の掃除をし、日曜日の朝には、背広にきちんとネクタイをして、教会堂の扉を開き、礼拝を守るためにやって来る3~4人のおばあちゃんの前に立って、奥さんのピアノの伴奏で賛美歌を歌い、説教をするのだそうです。

 地道な伝道が、今日でもこの国の中でなされています。教会成長などと言った世界とは、程遠い所で小さな群れが、礼拝を忠実に守っているのです。きっと、日本の霊的覚醒(リバイバル)は、こう言った山村や漁村の僻地から、名もない働き人によって起こってくるのだと信じてやまないのです。

 ストーン宣教師やリーパー宣教師は、死を恐れずに、人を生かそうとした生き方で、人生を終えています。極限の状況下で、そう言った選び取りをした決断に、イエスさまの十字架の死を信じた者の信仰が感じられるのです。そのような信仰を継承して、今を生きる人がおいでです。永生の望みの中にあるからでしょうか。驚くことに、リーバー宣教師が亡くなられた後、三男が誕生しています。

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