あゝなんと美しいのだろう!

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  大宇宙こそ、神秘の極みではないでしょうか。計り知れない単位でしか、その距離を表現できない彼方のきらめく星々が、整然と大空に散りばめられているのを観て、古代の人たちは、想像をたくましくさせて、星や星座や星雲に、名前をつけました。

 大航海時代、地中海沿岸部で見られたのですが、やがて見られなくなった「南十字星」は、十六世紀、イタリアの探検家のアメリゴ・ヴェスピッチがアンドレア・コルサーリによって発見されています。

 大空を見上げる少年の思いって、けっこう強烈なのです。北半球にいるので、赤道の南側の世界への思いは、けっこう強いのでははないかと思います。『南十字星を見上げてみたい!』、北半球だって知らない私なのに、未知なる南半球、しかも南十字星の見える地への訪問の願いを、十代に持っていました。

 肉眼でとらえられる、渦巻のようなアンドロメダ星雲だって、じっくり眺めてみたいのです。七夕になると、年に一度だけ注目されるのですが、「天の川」を、中国の詩人の蘇軾は、詩の「中秋月」の中で、「銀漢」と呼びました。

暮雲収盡溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看

 時がゆっくりと過ぎていった時代には、詩心をもって天空を眺められたのでしょう。芭蕉も、

 荒海や 佐渡に横たう 天の川

と、宇宙が広大に広がる様を、越後の海岸から佐渡が視野に入った空を見上げて観たのでしょう。英語の詩でも、次のように詠まれています。

“I Know the Stars”

I know the stars by their names,

Aldebaran, Altair,

And I know the path they take

Up heaven’s broad blue stair.

I know the secrets of men

By the look of their eyes,

Their gray thoughts, their strange thoughts

Have made me sad and wise.

But your eyes are dark to me

Though they seem to call and call —

I cannot tell if you love me

Or do not love me at all.

I know many things,

But the years come and go,

I shall die not knowing

The thing I long to know.
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 宇宙の神秘さは、洋の東西を問わないで、誰もが強烈に感じるのでしょう。さて、昨日、初めての光景を目にしたのです。それは『あゝなんと美しいのだろう!』、との印象だったのです。想像したよりも、綺麗で《いのち》が微動しているのです。そう、そこは《いのちの世界》でした。

 市の検診で要注意の知らせが来て、昨日は、医院に出かけて内視鏡の診察をしてもらったのです。食道と胃と十二指腸を、胃カメラが映し出す映像を、鼻から入れられた医療カメラの映像を、映し出したモニターテレビを観たのです。その画像を見た時に、詩篇139篇のみことばを思い出しました。

 『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩篇1391316節)』

 monitor に映された私の内臓は、何億光年もの彼方で、光り輝いている様よりも、さらに神秘的でした。神が、創造者として、「組み立て」た以外には、考えることができなく感動的でした。光を当てられた、私の内蔵は、柔らかで生き生きとして輝き、いのちの動作を繰り返していました。胃壁や十二指腸が、こんなに綺麗だとは考えたことがありませんでした。

 母の胎に、《いのち》を付与なさった神が、その日から、78年もの間、活動させ、それぞれの臓器に託した役割を果たさせ続けてきたのも、自分の意思でではなく、神によるのだと分かったのです。口から食べた食物で、いのちを養い、傷を癒やし、無益な食べ物も砕き、吐き出させたり、排泄させ、たまにはお腹が、『グウー!』と鳴ったりしてしてきました。

 人の体ほど、精緻に造られているものはありません。神の《最高傑作》の被造物なのです。神に似せられて造られた被造物であることが、真に理解できた一日でした。母胎に宿った日から、1日も欠かさず、見守り、機能させ続けてくださってきた神がおられるのです。もっと大切に、体も心も美しく保たなければならないことを、感謝の内に示されたことでした。

 心は、覗き見ることができませんが、聖書のみことばに反映させて、知ることのできる世界です。昨日よりも今日の方が、曇りのない心でありたいものです。それにしても、綺麗な私の内部でした。内奥でした。

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