秘訣

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 『あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。  あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 (申命記241920節)』

 1960年代の終わり頃でしょうか、それまでリール式のテープに録音する大きなものでしたが、左手で掴めるくらいの大きさの「カセット・テープレコーダー」が発売されました。当時、わたしの初任給が、25000円で、その半分ほどでしたから、ずいぶん高額で買ったのです。何か高額な「若者のオモチャ」のようでした。

 Sonyの製品で、後になって知るのですが、井深大(まさる)という方が、この会社の創業者の一人で、この方がクリスチャンだったのです。大少年は、機械いじりが大好きだったそうで、時計などを見ると、親戚の家に行っても分解をし始めてしまうほどで、親戚は、彼がやって来ると、家の人は機械類を隠してしまったそうです。

 このわたしも、ドライバーとかペンチを持つと、機械を開いてみたくなってしまったのです。どうして動くのかが不思議で、科学する子どもだったようでした。そんなわたしを、父は叱らないで自由にさせてくれたのです。一番の不思議は、父の机の上に置かれてあったモールス信号機でした。どうして、線で繋がっていない遠方の地に、信号を送れるのかが不思議でならなかったのです。
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 あのままだったら、Jiny という企業を創業できたかも知れませんが、飽きっぽいわたしでしたから、だめでした。この井深大は、世界的な企業人ですから、cream cake が似合いそうですが、あんころ餅が好きだったのだそうです。わたしたちの住む街の北にある日光の出身で、会津藩士の流れを汲む家柄だったそうです。

 父より一学年上の同世代でしたし、父もあんこのきんつばが好きでしたから、何とはなしに親近感があった人でした。この井深大が書き表した、1946年の Sony「設立趣意書」には、次のようにあります。

 『・・・技術の力で祖国復興に役立てよう』、『不当なる儲け主義を廃し、・・・・徒(いたずら)に規模の拡大を追わず、』とあります。早稲田に学んだ人でしたが、恩師の影響でキリスト教会に導かれ、信仰を持たれたのです。「祈る企業人」だったのでしょうか、世界的な企業になっていったわけです。

 聖書には、「弱者保護規定」が多く見られます。Sony は、心身上に障碍を負われた方たちを多く雇い入れ、働く機会を提供してきた企業です。ここにも、世界的に名を馳せて、《良い物作り》にしてきた秘訣がありそうです。

(「カセットテープレコーダー」、「落穂を拾うルツ」です)

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