父の心、子の心

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 2005年だったと思いますが、弥生三月の春雨の中を、「単騎、千里を走る」というタイトルの映画を観に、映画館に行ったことがあります。中国の古典文学、「三国志」に登場する関羽にまつわる仮面劇の上演が、この映画があって、それが雲南省で演じ続けられてきていたのだそうです。

 その仮面劇を、雄大な自然美の中国雲南省に取材したテレビ番組を制作する息子と父親、仮面劇で「単騎、千里を走る」を、『俺だけが演じられるんだ!』と自慢する男と8才の息子ヤンヤン、この二組の父子の織り成す、いわゆる「父子物語」が筋書きの映画でした。

 私は、『父は父なるがゆえに父として遇する(出典を忘れてしまいました)』と言う言葉に出会って、とても示され教えられて、何度もお話をさせていただいたことがありまりました。『父親を、父として子に備えられたのが神さまなのです。だから、どんな父親であっても父として敬い感謝して接しなさい!』との勧めの言葉なのです。男の子は、父を慕い、やがて父から距離を置いて離れ、再び父を取り戻す、そんな過程を経て、人は父になるのでしょう。

 中学生の私が、中央線の国分寺駅の北口にあった国分寺名画座で観た、「エデンの東(原作ジョン・スタインベック)」を、「単騎・・」を観ながら思い出したのです。自分は、父親に一番愛された三男坊でしたから、ジェームス・ディーンが演じた「キャル」とお父さんとの確執は理解できませんでした。

 でも父親が倒れてから、実にかいがいしく介護する次男のキャルを受け入れて、関係回復をしていくくだりが好きで、何度、映画館に足を運んだことでしょうか。5回は観ています。「創世記」に登場するカインとアベルの兄弟と父アダム、「ルカの福音書」に出てくる、「父と二人息子の物語」が、背景にあることが、聖書を読み始めて分かったのですが。

 そんな私が2人の息子と2人の娘の父親を委託されて、育てさせてもらいました。テレビのホームドラマのような理想的な父親を果たすことが出来ないで、子どもたちには、申し訳ない気持ちが残るのですが。

 性格のひねくれていた私は、少し陰の見えるキャルに共鳴してしまい、それを演じたジェームスの大フアンになってしまいます。そんなことから私の英語のニックネームは, ” Jimmy ” なのです。19才の頃だったでしょうか、「唐獅子牡丹」や「網走番外地」という映画を、友達に誘われて観に行きました。

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 その映画の主人公を演じたのが、「単騎、千里を走る」で主演した、高倉健だったのです。高倉は、博徒や網走刑務所に収監されていた囚人役を演じていたのですが、今回は、ヤンヤンを産ませたままで8年も世話をせずに、しかも罪を犯して刑務所に入っている、囚人の父を訪問する役を演じていました。

 40年がたって、元囚人が囚人を問安して、父親に目覚めさせる役を、高倉健が演じたので、ニヤニヤしながら映画を観てしまいました。「単騎・・」で高倉が演じた父親も、息子との間に10年来の確執があったのですが、病んでいる息子に代わって、仮面劇「単騎・・」をビデオ撮影するため、彼が雲南省を訪ねるのです。

 官憲の取り計らいで、刑務所の中で収監中の囚人の父親が演じる「単騎・・」を観劇する時には、息子の死の知らせが嫁の手で、携帯電話に届いていました。死の数時間前に、妻の口述された息子からの手紙が、電話口で読まれていたのです。それは父親への苦味が氷解していく赦しの内容でした。

 この映画を監督し、制作したのが、青年期に、初めて外国映画が解禁され、中国中で上映された日本映画、「君よ憤怒の川を渉れ」を、感動をもって観た、张艺谋Zhang Yi mouでした。この監督の世代の中国人男性は、この映画に出ていた高倉健や中野良子や原田芳雄に、熱烈に憧れたと言われています。

 『杜丘冬人を知っています!』と、出会って、交わりをさせていただいた、一人の大学の音楽教授に言われたので、高倉健よりも通り名となった、主人公の名の方が、この方の記憶にあったのです。中国が貧しかった時代、その映画で写し出された東京や主人公たちの服装は、驚きをもって眺め、仕草や服装は憧れとなっていたようです。この方は、『五回以上も観ました!』と言っていました。その张艺谋氏も、憧れた一人で、名監督となった時、高倉健の主演で映画を制作したのです。

 二組の父子の関係が回復されていく2つの物語に、旧約聖書の最後の書、「マラキ書」のみことばを思い出させられました。

『見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。』

(キリスト教クリップアートの「カインとアベル」です)

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