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作詞が西沢爽、作曲が遠藤実で、早生まれの同学年の梶光夫が歌った「青春の城下町」が、1964年に発表されました。
1 砂山に さわぐ潮風
かつお舟 はいる浜辺の
夕焼けが 海をいろどる
きみの知らない ぼくのふるさと
ふるさとの はなしをしよう
2 鳴る花火 ならぶ夜店に
縁日の まちのともしび
下町の 夜が匂うよ
きみが生まれた きみのふるさと
ふるさとの はなしをしよう
3 今頃は 丘の畑に
桃の実が 赤くなるころ
遠い日の 夢の数々
ぼくは知りたい きみのふるさと
ふるさとの はなしをしよう
もう、思いっ切り葡萄や桃を食べさせてもらった記憶があり、お腹を壊すほどだったのです。山からの索道の終点に、作業場や倉庫があって、大きなモーターで、山奥から材木を運んできていたのです。戦時中は、石英の鉱石の集積場があって、そこからトラックで、旧国鉄の駅に運んでいたのです。
そこに家があって、少し降った所に、山道を通って、有名な神社に通じるバス路線の停留所があって、小さなお店がありました。父に連れ出されたわたしは、買ってもらった水蜜桃だったでしょうか、それをお腹いっぱい食べさせてもらったのです。父は、四人の子を、一人一人個人的に連れ出していたようです。お腹を壊すほど食べさせた父を、母が厳しく叱っていたのを覚えています。
台湾人の奥さんと、アメリカ人のご主人が、華南の街の彼らの家に招いてくださって、食事をご馳走していただき、交わりをしていたら、『これをもらったのですが、私たちが食べるよりは、あなたたちが食べるのが一番ふさわしそうなので、差し上げます!』と言って、お土産にいただいたのが、「虎屋の羊羹」でした。
父に食べさせてもらったのも、この老舗の羊羹でした。味覚と言うのは、「懐旧の念」と深く関わっていそうです。自分の「ふるさと」にも、味覚の思い出がたくさんあります。焼いた渓流魚の山女、木通(あけび)、母の故郷から送られてきた笹餅、それらを食べた、あの山奥が、私の「ふるさと」なのでしょう。
「母の日」の前に、息子夫婦が、やって来て、差し入れしてくれたのとは別便で、家内には「カラー」の花鉢が送られてき、私にも、羊羹が別便で届いたのです。もう大事にしまってある一口サイズを、一週間ぶりに出して、狭山茶を淹れて、先ほど食べたのです。口に馴染んだ虎屋の羊羹の味で、その山奥のたたずまいと、生活、兄たちや弟、色も匂いも、いっぺんに思い出してしまったのです。
砂山などないし、城下町も夜店もない山奥にも、懐かしい風景の記憶があります。兄たちを追っかけ、弟と遊んだのが、昨日のように思い出されます。兄たちは八十代、弟も後期高齢者に、そして私たちも。守られ、支えられ、老境の日を、それぞれに生かされていて感謝でいっぱいです。
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