撮る

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 「古写真」を見るのが好きな私は、本屋や図書館の写真集コーナーに行って、棚の写真集を開いて、古い街の様子や生活や人を、よく見てきました。現在でも、ネットで探して見ることが、時々あります。古い街並みが、田舎には残っているのです。上海は、近代化したアジア第一の都市ですが、外国航路の波止場付近は、昔の面影を残していて印象的でした。

 日本の写真家に、木村伊兵衛とおっしゃる方がいました。1901年に東京で生まれ、報道写真家として活躍された方です。この方も何冊もの写真集を出しておいでです。この木村伊兵衛は江戸っ子でしたが、秋田に魅せられた人で、生涯に22回も秋田を訪ねています。

 そこにある古い日本の風景と生活と人を訪ねたかったのでしょうか。この方が一番行かれたのが、大曲市(現在の大仙市です)だったようです。足繁く歩いて、撮った写真集の中に、1953年に発行された「秋田」という題のものがあります。

 その表紙の写真が、この冒頭のものです。秋田や東北地方では、若い年頃の娘さんを「おばこ」と呼ぶのですが、その「おばこ」は、撮影時に19歳であった洋子さんだったそうです。新潟と並んで、この秋田が、「美人県」として有名になったきっかけの写真だったのでしょうか。

 父が旧制の中学校を卒業して進学したのは、「秋田鉱業専門学校(現在の秋田大学になります)で、1920年代の中頃のことでしたから、この写真集に魅せられたわけではありません。時代が違います。秋田県人を何人か知っていますが、みなさん色白なことは確かで、やはり「秋田美人」、「秋田美男」なのです。

 JR「大曲駅」の駅舎のロビー吹抜けに吊り下げられた大きなパネル写真も、この写真でした。60年以上も前に撮影された写真が、今日も、掲げられているということは、この秋田や大曲を代表する一葉であるからなのでしょう。

 写真といえばカメラに、ライカがあります。ドイツ製で、このカメラで撮った写真は、特別なのでしょう。好評価を得た有名な写真の多くが、このカメラで撮られているそうです。やはり<カメラの中のカメラ>、<カメラのキング>です。光学デジタルにはない、<古き良き物>の一つなのでしょうか。

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 一機欲しいと思っていた時期がありましたが、一桁違っているように見えるほどの値段を見て、手が引っ込んでしまいました。撮影技術などない私には、もし手に入れても、<宝の持ち腐れ>になりそうです。時々眺める光景で、撮って残しておきたいものがあるのですが、今では、スマホが使えるのは素晴らしいことですね。でも、よく不携帯で外出してしまい、撮影の好機を逃しているのです。

 あの “aurora (オーロラ)” を撮ってみたいのです。スカンジナビアかカナダかアラスカに行ったらいいのでしょうか。病気をなさった方を、しばらくお世話したことがありました。その方が元気な頃に、アラスカに釣りに行かれたことがあったそうで、懐かしく話してくれました。それほど学歴がなかったのに、猛烈な仕事人で、大企業の要職にあった様です。『元気になられたら、一緒にオーロラを観にいきましょうね!』と言ったまま、この方は亡くなられました。

 きっと素晴らしい光景を目にして、もう一度観たかったのでしょう。カナダはバンクーバーまで、わたしは行ったことがありましたが、もっと北を目指した旅を、もう一度してみたいものです。北欧もいいですね。不自由なコロナ禍だから、余計、そんな思いにされるのでしょうか。

 

(「ライカ」で木村伊兵衛が撮影した昭和の顔や子どもたちです)

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