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 『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。--しかしあなたは実際は富んでいる--またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(ヨハネの黙示録2810節)』

 まだ若い頃のことです。ソビエット連邦が崩壊する前に、東側諸国に、福音宣教の働きをしていた団体から、送られてきた機関紙に添えられていたと思いますが、薄い一冊の冊子がありました。そこにソ連国内の宗教弾圧のおぞましい記事が掲載されていました。イワンという若い兵士が、キリスト信仰の故に迫害を受けている様子が、写真も添えて記してあったのです。

 自由圏にいて、信仰の自由が保障されている私とは、まるで違う状況下に置かれている、同世代の基督者が、イジメや差別や過酷な仕事を強いられ、その上、度重ねる体罰を受けて、顔がパンパンに腫れ上がり、内出血した身体を、写真で見て驚いたのです。

 そんな不都合な仕打ちを受け続けてきた兵舎の中で、死ぬ直前に、このイワンは、天に引き上げられる経験をするのです。あのパウロが経験したと同じような、幻のうちにか、現実だったか、第三の天に引き上げられたのです。それは、殉教の日の次に、輝ける明日があり、永遠の時があることを、神さまが、イワンに知らせるためだったのでしょう。

 迫害が、まだ大っぴらに行われていた時代、平和な日本で生活していた自分にとって、ソ連国内では、こんなひどいことが起こっていたのに、慄然とさせられたのです。

 教会の主で、キリスト・イエスは、「牢」を恐れずに、『死に至るまで忠実でありなさい!」と勧めています。不正や、不義に対して、自らの信仰を貫くことを、示された時でした。

 『あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちのを与えよう。(ヨハネの黙示録210節)』

 それ以前に、こんな話を聞きました。信仰のゆえに銃殺刑に処さられる人たちが一列に並ばされていたのです。銃が構えられていた時、一人が、その処刑を恐れて、棄教して列を走り出たのです。その時、冠が天から降りてきていたのです。それを見た一人の兵士が、銃を捨てて、空いた列の中に立ったのです。その兵士は処刑されたのですが、天来の冠を被せられ、永遠の命に預かったのです。

 私たちの母教会を始めた方からだったと思いますが、そんな話を聞きした。イエスさまは、『からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 (マタイ1028節)」と仰っています。

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