恐れない

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 まさに、寝ばなをくじかれる様な、昨夜の地震でした。東日本大震災の時の揺れよりも大きかったし、驚き加減も酷かったので、大きな被害が起きる様に思ってしまいました。でもラジオニュースを聞いて、慌てた厳粛な様子がしませんでしたので、被害状況がわかる前に、ちょっと安心した次第です。感じた様に、被害が少なかったのは幸いでした。

 古来、日本人は、地が揺れるたびに、同じ様な不安に駆られてきた民族なのでしょう。自分もその一員なのだと思わされました。1923年9月1日の関東大震災では、母は山陰出雲で、父は相模横須賀で、大きな揺れを感じたそうです。その父は、地震で揺れるたびに、子どもたちに大声で号令し、『玄関や戸を開けろ!』と叫んでいたのを覚えています。

 それで、昨夜は、鉄製の玄関の戸を開け放って、次の揺れを警戒してしまいました。親爺の子はオヤジで、叫ばずに、自分で玄関を開けました。地震が来るたびに、聖書の記事を思い出してしまいます。

 『大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。(ルカ2111節)』

 そんな時代の直中に、私たちはいそうですね。でも、恐れずに、これから、神さまが何をするかを思っていたいものです。

(“イラストAC”による地震です)

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 『 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録214節)』

 いつ頃だったでしょうか、寺山修司の詩で、「時には母の ない子のように」を、カルメン・マキという歌手が、悲しそうに歌っていたのを覚えています。

時には母の ない子のように
だまって海を みつめていたい
時には母の ない子のように
ひとりで旅に 出てみたい
だけど心は すぐかわる
母のない子に なったなら
だれにも愛を 話せない

時には母の ない子のように
長い手紙を 書いてみたい
時には母の ない子のように
大きな声で 叫んでみたい
だけど心は すぐかわる
母のない子に なったなら
だれにも愛を 話せない

 世には、父を亡くした子だけではなく、母を亡くした子もいます。死別だけではなく、虐待されたり、捨てられたり、心理的に放てられてしまった母のない子が、多くいそうです。

 『帰ってくれ。この幸せを壊さないで!』、これは、母が17歳の時に、奈良にいると、親戚のおばさんに言われた実母を訪ねて行った時に、玄関先ででしょうか、そこで言われた言葉でした。どんな思いで聞いたことでしょうか。どんな思いを引きずりながら、奈良、福知山を汽車に乗って通過し、出雲の街に帰ったことでしょうか。

 実の子の来訪を喜んでもらったり、優しく語りかけられたり、詫びや謝罪の言葉を聞かないで、実母の元を去るというのは、どんなに辛かっただろうかと思うのです。三十代の半ばの生母としては、精一杯の断腸の思いで、娘に語った言葉だったのでしょう。人生ってなかなか思った様には、上手くいかないものです。

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 でも起死回生、どんでん返し、失ったものが、かえって素晴らしいものを生み出すことがあるのです。母は、実母が亡くなった時に、妹の招きで葬儀に出席したのです。その時、祖母のまくらの下に、一様の写真が隠されていたのです。長男が大学生、次男が高校生、三男が中学生、四男が小学生の時に、街の写真屋で、父に言われて撮ったものでした。

 母が、従姉妹にでも送ったのが、何かのきっかけで、祖母の元に届けられていたのでしょう。きっと、繰り返し繰り返し、見ていたのでしょう。『おばあちゃん!』と言われることのなかった孫たちの成長を、きっと悔いながらも、心の中で願っていたのでしょう。

 それよりも何よりも、友だちに誘われて、教会学校に行き、カナダ人宣教師の愛を受け、その仲良くかかわっている家族に接しながら、聖書に記される神が、「父」であることを、母は知るのです。父無し子、産みの母に捨てられた母が、真正の神を、『お父さま!』と呼び掛けることができたのです。この神は、頬に流れる涙の意味をご存知です。この神を信じ続けて、一生涯を基督者として生きたのです。

 自分の生まれを不条理に感じながらも、それを許された神と出会い、その神を信じられて、昭和を走り抜けた母に、産み育て、最前な道び導いてくれたことを感謝しているのです。この地上にある間は、〈悲しい出来事〉は避けられませんが、それを通して、創造者に出会えるなら、素晴らしいことになります。このお方は、目の涙を拭ってくださる神であります。

 今でも、戦争で父を、母を、子を、祖父母をなくす悲劇が生まれています。悲しくて、ニュースを聞いていられません。神がいないからではありません。人が愚かだからです。ただの人でも、平和を愛し、戦争を憎むことができます。一刻も早い停戦、終結を願ってやみません。

(”キリスト教クリップアート“の賛美する教会です)

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