悲しくて

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 上の兄は、空襲で、甲府の街の空が真っ赤だったのを覚えていると語ったことがあります。山奥の山の狭間から、焼夷弾の空爆で、父の事務所のあった街中心部が燃えているという現実を見て知っているのです。わたしには、その経験はありません。ただ軍務に携わっていた父の石英の採掘現場は、爆撃地点ではなかったのが、不思議でした。

 あの戦争が行われていた頃の広島県呉市の様子が、アニメーション映画として上映されました。日本国海軍の軍港のあった呉を舞台に描かれた、漫画の「この世界の片隅で」が、2016年11月に、映画化され、大きな反響を呼び起こしました。

 『主人公が、穏やかな性格のすずで、広島市に生まれ育った少女です。兄妹との三人兄妹で、しっかり者の兄からはいつも鈍いと怒られてばかりだったが、実はすずは手先が器用で絵を描くのが得意だった。えんぴつが握れないほど小さくなるまで絵を夢中になって描いているような少女時代を過ごした。

ある日、北条周作という青年が父親と共に呉から広島市のすずの実家に訪れる。幼少時代に、すずと一度会ったことがあり、その際に一目惚れをし、結婚を申し込みに来たのだった。すずはあまり気乗りはしていなかったものの、周りの勧めもあり、呉へと嫁ぐことを決める。嫁ぎ先の北条家では優しい父、病弱な母、周作、すずの4人で過ごしていたが、途中から周作の姉である径子が娘の晴美を連れて戻ってくる。

 嫁ぎ先の義実家とうまくいかず戻ってきたという。径子はすずとまさに真逆な性格で、テキパキと行動し、鈍臭いすずには絶えず小言を言っていた。しかし、娘の晴美とすずはとても仲が良く、ふたりでよく遊んでいた。

 戦時中のため、決して裕福な生活とは言えなかったが、晴美は軍艦が好きだったので、すずが軍艦の絵を描いてあげるなど、ささやかに楽しい生活を送っていた。次第に空襲警報も増え、呉も空襲に怯えながら防空壕に逃げ込む回数も増えていった。そんな中、義父が空襲のせいで怪我をしてしまう。すずと晴美は義父のお見舞いに病院に行くが、その帰り道にまた空襲警報が鳴る。近場の防空壕に飛び込み、すずは晴美を勇敢に守っていたが、防空壕から出た直後、埋もれていた不発弾に晴美が被弾してしまい死んでしまう。すずも、晴美と繋いでいた右手を失ってしまう。

 大切にしていた晴美と右手を同時に失った喪失感、晴美の母親である径子から責められる日々で、すずは死にたくなってしまう。空襲警報が鳴っても外にいたところ、周作がすずを見つけ、命がけで守ってくれる。広島の実家に帰ろう、そう思っていた頃、広島市に原爆が投下される。原爆投下から数日が経ち、広島市の様子を見るために広島市に周作と共に帰省するが、そこには変わり果てた故郷があった。そのとき、右手を失ったすずを見て、少女が母親だと思い込み近寄ってきた。すずと周作は戦争孤児になってしまった少女を引き連れて呉へと帰り、新たな生活を始めようとするのだった。以上、映画「この世界の片隅に」の簡単ネタバレあらすじと結末でした(映画ウオッチ)。』

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 戦争は、必ず悲劇を生み出します。家庭、親子、恋人同士の愛が引き裂かれます。建物や文化財が破壊されるのです。何よりも深い傷を、心の中に残すのはやりきれません。戦争を知らない世代が、後期高齢者入りになった今、戦争体験者の親に育てられて、親の兄弟たちは戦死したりして、間接的に戦争の被害を知ってるのでしょう。

 戦後、新宿や上野や電車の中に、孤児や傷痍軍人を見かけました。うつろな目をした人たちと、ギラギラとした目で生き抜いている強さを持って生きようとしていた人が混在していた時代でした。

 まさかこんなことになるかとは思わなかった戦争が起きてしまいました。砲撃されたウクライナの街の焦土の様子、戦死者を葬る遺族の悲しい様子、泣き悲しんでいる遺族の顔と涙、こんな悲劇がまた起こって、悲しくて悲しくって仕方がありません。呉の街だけではありません、主要都市が爆撃された日本でしたが復興しました。あんなに瓦礫の山になったキエフなどは、復興できるのでしょうか、何よりも、人々の生活はどうなるのでしょうか。日本にも難民がおいでです。ウクライナの人の傷ついた心は癒えるのでしょうか。

 ただ、主の恵みを祈るだけです。アウシュビッツを生き抜いた方が、ロシア軍の攻撃で戦死されたニュースを昨日聞きましました。これから台湾は大丈夫なのでしょうか。インドも、沖縄も、北海道も、何か大丈夫ではなくなってきていそうです。死にゆく準備は出来ていますか。《永遠のいのち》のあるのをご存知ですか。それでも、今は、《恵の時》なのです。

(漫画の場面、空爆後のウクライナの街の様子です)

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