和歌山県

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 渋谷や新宿にあった、大型書店の「紀伊國屋書店(きのくにや)」に、時々行ったことがありました。現在の和歌山県は、律令制下に、「紀伊國」と呼ばれていました。創業者の田辺茂一は、紀州徳川藩の足軽の出で、本屋の開業時に、自分の故郷の「紀伊国」を店の名称にしています。

 今年も、「有田みかん」が気に入って、近くのスーパーマーケットで、有田産のみかんを、何度も買って食べました。愛媛も熊本も佐賀も、後続のみかん産地ですが、かつては、紀州が主なる産地で、木箱に入って売られていたのを、父が買ってくれて、よく食べましたから、懐かしかったのかも知れません。

 今では、みかんの産地が、あちこちにありますが、江戸時代には、江戸の市民は、紀州の「温州みかん」を食べていたそうです。それで有名なのが、紀伊國屋文左衛門でした。嵐の中を船で、豊作だった蜜柑を買い集めて、江戸に運んで、巨万の富を手に入れて、豪遊したので、勇名を轟かせたのだそうです。実話なのか、お芝居の人物なのか、どちらにしろ有名な、紀州人でした。

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 この和歌山県の県庁所在地は和歌山市、95万の人口、県木はウバメガシ、県花は梅、県鳥はメジロで、漁業が盛んな県で、県魚はマグロなのだそうです。そう言えば、わが家の食卓には、時々、紀州名産の「南高梅」が添えられます。独特な香りがして、美味しいのです。「つぶれ梅」の特売が、生協のチラシに入る時に、注文しています。

 「木の国」と言われるほど、山林や山地の多い地で、県の7割を山々で占めています。県の北部は、阪神工業地帯に位置していて、工業が盛んですが、県全体としては、人口減少がみられるそうで、どうしても林業が中心の産業構造となってきた県であります。

 手毬(てまり)唄の「まりと殿様」に、『紀州の殿様お国入り』と歌われています。

てんてん手鞠(てんまり) てん手鞠(てまり)
てんてん手鞠の 手がそれて
どこから どこまでとんでった
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった

おもての行列 なんじゃいな
紀州(きしゅう)の殿さま お国入り
金紋(きんもん) 先箱(さきばこ) 供(とも)ぞろい
お駕籠(かご)のそばには ひげやっこ
毛槍(けやり)をふりふり やっこらさのやっこらさ

てんてん手鞠は てんころり
はずんでおかごの 屋根のうえ
「もしもし 紀州のお殿さま
あなたのお国の みかん山
わたしに 見させて下さいな 下さいな」

お駕籠はゆきます 東海道(とうかいどう)
東海道は 松並木(まつなみき)
とまり とまりで 日がくれて
一年たっても 戻(もど)りゃせぬ
三年たっても 戻りゃせぬ 戻りゃせぬ

てんてん手鞠は 殿さまに
だかれて はるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり
山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげな なったげな

 みかんをおいしく実らせる、太陽の光が溢れている様子が、作詞者の西条八十によって読み込まれています。この県は紀州藩のお殿様だけではなく、多くの歌人によって、和歌によって詠まれていて、県名でわかるように、県北にある、「和歌の浦」で有名なのです。風光明媚で、とくに「砂洲(さす)」で有名です。

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若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴鳴き渡る

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける

 この二首の和歌は、山部赤人の作で、あまりにも有名で「万葉集」に収められています。京畿地方の伝統ある県ですから、ぜひ旅行で訪ねてみたいものです。

 実は、最初の職場で、「道徳教育全国研修会」が、弘法大師(空海)が開山した寺と高野山高校、さらには宿坊を会場にして働かないかと行われた時、事務方の仕事で出張したことがありました。有名な哲学者のご子息が、研修会の専門委員で、ご一緒させていただきました。この方が、「胡麻豆腐」が好物で、三泊ほどいた会期中に、何度も、『食べに行きましょう!』と誘ってくださって、舌鼓を打たせてもらったのが懐かしいのです。

 この方の勤めていた大学が、東京の目白にあって、そこで教師として働かないかと誘われたことがありました。伝道者になって数年経ったばかりの頃でした。でも丁重にお断りしたのです。私を気に入ってくださったのでしょうか、その後も色々とお誘い下ったのです。人との出会いに恵まれた半生を思い返しています。もう半世紀以上も前に出会った方との和歌山への訪問でした。

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