ボルシチの国々

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  『ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラまことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。(詩篇3957節)』

 これは、世界を恐怖に陥れた、世界最初の共産主義国家の「ソビエト社会主義共和国連邦〉の国歌です。

1
Союз нерушимый республик свободных
Сплотила навеки Великая Русь
Да здравствует созданный волей народов
Единый, могучий Советский Союз!

自由な共和国の揺ぎ無い同盟を
偉大なルーシは永遠に結びつけた
人民の意思によって建設された
団結した強力なソビエト同盟万歳!

Славься,Отечество наше свободное,
Дружбы народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族友好の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

2
Сквозь грозы сияло нам солнце свободы,
И Ленин великий нам путь озарил:
Нас вырастил Сталин-на верность народу,
на труд и на подвиги нас вдохновил!

雷雨を貫いて自由の太陽は我々に輝き
そして偉大なレーニンは我々に進路を照らした
スターリンは我々を育てた――人民への忠誠を
労働へそして偉業へと我々を奮い立たせた!

Славься,Отечество наше свободное,
Счастья народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族幸福の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

3
Мы армию нашу растили в сраженьях
Захватчиков подлых с дороги сметём!
Мы в битвах решаем судьбу поколений,
Мы к славе Отчизну свою поведём!

我々の軍は戦いによって我々を成長させ
卑劣な侵略者を道から一掃する!
大戦によって我々は世代の運命を決定し
我々が我が祖国に栄光をもたらそう!

Славься,Отечество наше свободное,
Славы народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族栄光の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

 これは、〈レーニンとスターリン賛歌〉であって、スターリンが原稿に赤鉛筆で推敲に推敲を凝らして作詞したと言われています。聖書には、次のようなことばが記されてあります。

 『自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。 (箴言272節)』

 自画自賛のこの国の国歌を、ソ連崩壊まで歌い続けた(死後にスタリーンが批判された後、フルシチョフが作り直していますが)のですが、たくさんの人材を粛清した者たちの成した業を知っているソ連国民が、どんな気持ちで、この歌を歌たったのでしょうか。

 現在、ロシアの国家は、スターリン時代の国家の melody を復活させて、「強い国家」を建て上げるために、人々を鼓舞しようとしています。歴史は、「大国主義」の野心は、常に崩れ去って崩壊しているのにです。

 大国志向の国は、弱小国を侵略し、吸収して、国境を拡張させていくのです。ローマ帝国もモンゴール帝国も、破竹の勢いで世界制覇をしたのですが、今はその残り滓しか残っているではありませんか。多くは、内部抗争、後継者選任の抗争で滅んでいきます(ある歴史家は、今も、なおローマ帝国の時代だと言っています)。

 その大国維持は、警察国家を設けて、言論も行動も規制していき、違反者は抹殺してしまうのです。そういった強圧的支配が、長続きしないのは、スポーツの世界でも、芸能の世界でも、いわんや政治の政界でも、結局は、〈窮鼠(きゅうそ)猫を噛む〉で、体制は内部から覆されてしまうのです。

 失敗した過去に学ばないで、過去の栄光を追おうとする男のすることを黙認し、支持してしまう民族的な欠陥は、長い唯物論の教育の結果があるかも知れません。それとは真逆で、クレムリンの中にも、篤信の基督者がいたのです。「義」や「公正」の基準を持たない人も社会も国家も、長続きはしません。

 一体、歴史を支配される主なる神さまは、今、ボルシチを食べる国々の中で起こっていることを、どうご覧になっているのでしょうか。じっと目を凝らして、義なる神が、何をなさるか、そのなさることを見てみることにします。悪が思いのままにことをなすことなどあり得ないからです。

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