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子どもの頃に聞いた「音」があり、それを最近では、全く耳にしなくなってしまいました。このブログを読んでくださる神奈川県在住の方が、『・・・話は変わりますが、夜中に家から 汽笛の音は聞こえませんか?実は私にはそれが懐かしいんです。』と言って来られました。JR両毛線と東武日光線の栃木駅の近くに住んでおいでで、朝な夕なに汽笛を聴いた記憶がおありなのでしょう。学校を終えて、東京に出て大学に通い、一仕事終えた同世代の方です。
昔は、踏切、しかも無人の踏切が多かったからでしょうか、『ポーッ、ポーッ!』と、よく聞きました。中央線の線路が下に見える小高い丘の上に家はありましたので、電化する前の蒸気機関車の汽笛が、私にも懐かしく思い出されるのです。今は、風向きによって、踏切の警報音だけが、時々聞こえて来ます。
機関士のおじさんが、運転台で、上から吊るされれた太めの紐を引いて鳴らすのです。あの紐は、憧れの的で、いつか引いてみようと思いながらも、叶わぬ願いを持ったままです。映画の中では、今でも時々聴けるのですが、あの車輪を回す、『シュッ、シュッ、シュッ!』という「音」も、もう聞けません。数年前に、東武日光線の下今市駅の基幹区に、週末に走行するための準備でしょうか、蒸気を出している機関車「大樹」が、線路上に停車していました。
かつて中央線の立川駅に、五日市線のホームがあって、そこに停まっていたのを見て以来、この目で見たのは、半世紀以上ぶりの機関車でした。客車を牽く機関車では、石炭を燃やして蒸気機関を動かしていたのですが、その煙の「匂い」がしていました。冬季の学校の教室で焚いていたストーブも、石炭やコークスだったので、同じく懐かしい「匂い」だったのです。
中央線も東海道線も福知山線も山陰線、母のふるさとへ行った旅で乗った列車は、トンネルを通過すると、窓の隙間だか、連結部分からか、「煤(すす)」が入り込んできました。線路のレールの繋ぎや切替箇所を通過する時には、『ガタガタ、ゴト、ガタ!』と、振動と共に「音」がしていました。今では、レールに繋ぎ目のない「一本レール」に溶接された物が敷かれているので、その音がしなくなりました。
鉄道 fan(フアン)には、〈乗り鉄〉と言われる人がいるようです。運行がやめられる路線の最終列車に、その知らせを聞くと、どこに出かけてでも乗ろうとする人たちがいるのです。また、電車の行き先板、plate をplatform で撮ったり、電車や蒸気機関車の曲がり角や、山の上や、鉄橋から走る列車にcamera を向けて撮影をするのを〈撮り鉄〉と呼ぶようです。rule を守らない者がいて、大きな問題になっているようです。
華南の街から、鉄道関係の雑誌の特集号が発刊されるのを知って、弟に mail をして、買い置きしてもらったことがありました。駅弁の特集が組まれていたからでした。昨年の秋頃からでしょうか、いくつものスーパーマーケットで「全国駅弁即売会」があって、駅伝ブームが起こっているようです。それを買って帰って、家内と二人で懐かしく食べたのです。駅弁を食べて旅をした当時を思い出して、その「味」も「音」も「匂い」も懐かしかったのです。
(下は父も乗った南満州鉄道の「あじあ号」です)
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