元旦

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 正月元旦、父の家では、暮れからおせち料理を、母が作って準備してくれて、それを家族で食べました。醤油を買いに行かされた覚えがあります。今のように、スーパーマーケットで、なんでも揃う時代とは違って、各家庭が、両親の育った田舎の伝統的な味に調理していたのです。たくさんの種類の食材を、一緒くたに煮て作るのではなく、一つ一つを鍋で煮るのです。しかも、今のように、ガスコンロがあるわけではなく、七輪に炭をおこして、その上で煮ていました。

 三段重ねの重箱には、買ってきた出来合いの蒲鉾や伊達巻が同じ厚さで切り揃って入れられていました。山陰出雲に生まれた母の味ではなく、神奈川横須賀の父の味に合わせて作っていたのだと思います。お雑煮は、お米屋さんが暮に届けてくれたのを、父が几帳面に切って、餅箱に同じ大きさに切り備えた餅を、『いくつ食う?』と聞いては、6人分を、七輪の上で父が焼き、鶏肉と小松菜を具にしたつゆの中に入れて、ひと煮立ちしていました。

 みんなが自立するまで、毎年繰り返されて来た、暮れから正月の様子でした。所帯を持った私の家でも、家内が一生懸命に正月料理を作ってくれました。亭主関白のわが家では、父の関東風の雑煮でした。今の反省は、家内の家庭の味にしてもらっておけばよかったと思っても、後の祭りです。

 今年は、私たちが長く過ごした中国華南の海浜の村で育った、若き友人宅にお邪魔していて、「过年guonian」、日本の大晦日の年越し料理をいただきました。私たちを含めて4家族で、食材を持ち寄り、ご夫婦が入れ替わり立ち替わりで料理を作ってくれたのです。もう久し振りになる、中国の家庭料理をいただきました。

 子どもたちが第一部で食べ、大人が第二部で、テーブルを囲んで、和気藹々の年越しをしたのです。『美味しかった!』の一言に尽きます。語らいをしながらの素晴らしい《振る舞い》、《もてなし》に感謝と喜びで箸を運んだのです。ご主人たちが台所に立って、率先して調理してくれていました。

 招いてくださった夫妻が、手広く華南でパンの製造をされている関係で、今朝の元旦の朝餉は、一年の初めにあたって、感謝の祈りで始まりました。パン食でした。私も、今年最初の調理で、レタス、黄と赤いのパプリカ、胡瓜、人参、玉ねぎに、刻んだニンニクとピーナッツ、干し葡萄を入れ、バジルなどでドレッシングを作ったサラダだったのです。おせちはなかったのですが、デザートに果物の美味しい年初の朝食でした。

 元旦の夕方は、『下の息子さん夫婦を呼んで、一緒にどうですか?』と言ってくださったので、招いたら来てくれて、談笑しながら、子どもたちも加わって10時ごろまで、テーブルを囲みました。息子夫婦の来訪を喜んだのです。主の模範に倣って、《食べること》、《愛餐》には深い意味があるのですから、そのようにして、新しい年を迎えられたことに感謝した一日でした。

(ご主人の会社で作った物に衣をつけて油で揚げた中国のお餅の「年糕niangao」です)

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