親心

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 日韓の関係が悪くなる前、1974年に、初めての韓国への旅行をしました。空港を降りて、案内板などを見ましたが、ハングル文字で書かれていて、全く理解することができませんでした。何とかバスに乗ったのですが、バスの系統の数字だけが判読できただけだったのです。下手な英語で、その晩泊まるように予約してあった、ユースホステルに、やっとのことで着くことができました。そのホステルの責任者は、上手に日本語が話せて、いろいろな話を聞かせてくれたのです。

 この旅行の前の8月6日に、長女が隣町の授産所で誕生したのです。そこはハエや蚊が飛んでいて、蚊取り線香が灯っているような施設でした。産科の病院より低料金でしたし、家からも近くて便利でしたので、『まあいいか!』と言うことでお世話になったのです。助産婦さんが生まれたばかりの長女を抱いて、『いいボコが出たじゃん!』と、その地方の方言で言っていました。家内は男の子だとばかり思ってオシメを替えたら、女の子だったのです。本当に驚いてしまったわけです。その「ボコ」を男の子だとばかり思っていたからです。

 最初の子が、色白だったのに比べ、この子はちょっと健康色をしていて、見るからに丈夫そうでした。オッパイを欲しがる時以外は泣かないし、そのオッパイを勢いよく吸い、いつも足りない感じだったのです。乳児用の湯桶は使わず、一緒に風呂に入れると、熱いお湯に肌を赤くして、じっと我慢して入っていました。もう健康児そのものでした。

 その誕生の直後の旅行だったのです。ソウル滞在中の8月15日に、韓国の朴大統領が狙撃され、夫人が流れ弾に当たって亡くなる事件が起こったのです。前の大統領が、そのお嬢さまで、恩赦になったのを聞いて思い出しています。あのとき、犯人が日本人だと、ソウルで聞いたのです。『反日感情に火が着いて、報復が行われないか?』とか『日本に帰れるだろうか?』と、会議に参加していた、他の日本人の間で囁かれ始めたのです。結局、拘束された犯人が、北朝鮮系の人物だということが分かって、ホッとしたのです。そんな父親の心配をよそに、長女はスヤスヤ寝ては、チュウチュウと乳を飲んでいたようです。

 小学生の時に、その長女は、愛知県に一人で旅行をしたことがありました。我が家で一緒に生活をしていたことのある若い女性を訪ねてでした。それで娘に、「旅行心得」を書いて持たせたのです。『見知らぬおじさんが声を掛けてきても、ついていかないこと!』などと書きました。彼女は、楽しい旅を終えて喜んで帰って来たのです。中学では、いじめをする上級生を懲らしめたり、逞しく生きていました。

 高校の時は、スーパーマーケットでアルバイトをし、先生の失恋の相談に乗ったりしていたのです。大学では蕎麦屋でお運びなどのアルバイトをしたりしていました。卒業すると、私のすぐ上の兄に留学資金を借りて(何年かかけて返済しましています)、アメリカに出かけて行き、大学に入学してしまいました。卒業と同時に、ロサンゼルス近郊で仕事を見つけて就職してしまったのです。

 その後、シンガポールで十年間働き、結婚後の今は、ホノルルにいます。ピアノが上手で、人の気持ちを汲んで面倒見の好い、自活力の旺盛な長女です。この正月は、またぶり返したコロナ感染の只中の正月を迎えて、今日あたりは、ゆっくりと過ごしていることでしょう。

 アメリカのコロナ感染者数が、昨日は、54万にもいるのを知って、ちょっと心配で心が騒ぎます。暮れに出かけた時の市内運行バスの運転手が、「第6波」が、年明けに起こると言っていた言葉を思い出します。人並みに持つ親心でしょうか、子どもたちの毎日が気になります。正月には、元気な長男と次男にはあ会えたのですが、遠くに居て帰って来れない長女と次女が心配なのです。娘たちの家族も、主の守りがあるようにと祈る、親なのです。

(小旅行のひばりが丘・落合川の遊歩道で見かけた「カワセミ」です)

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