いつでしたか、お話をしていて、『どんなに長くお邪魔しても、実家でさえ三日が限度でしょう!』と言われたことがありました。『遊びにおいでください!』とお誘いを受けて、お土産を持って、知人宅を訪ねたら、小声でしたが、『わー、来ちゃった!』という、その家の奥さんが言ってるのが聞こえて、自分たちの世間付き合いの〈甘さ〉を、ゴツんと教えられたのです。
人の言葉に、どう応答するかは、よく考えないといけない、と言う学課を、その時学んだのです。あの訪問はいづらかったのですが、嫌がられてのしばらくの時間は、〈針の筵(むしろ)〉の上のようでした(ご主人は歓迎ムードでした)。家庭婦人という立場は、大変なのでしょう。家内は、どうかと言いますと、来客歓迎で、ありのままで迎えて、今日に至っています。訪問客には、様々な印象があるのでしょうが、迎える私たちにこだわりがありません。家内は、いつでも大歓迎でした。
今、昨年の暮れの29日に迎えに来ていただき、友人宅にお邪魔していますが、彼も奥さんも、『十日はいてください!』と言ってくれています。居心地がいいので、もう一方の日本人の〈甘え〉で、今日で八日になってしまいます。若い中国人の家族が、入れ替わり立ち替わり出入りしている家で、子どもたちや夫婦間の問題に、advice を、よくされています。
彼らは、食事を作っては、もてなし、来客の子どもがヤンチャをしていると、奥さんは叱っています。他人の子への無関心で、それなのに心の中では、『なんて躾がなってないんだろう!』などと思う日本人とは違う応対をしている、そうできる人たちで、『偉いなあ!』と思うのです。
昨日の午後は、『新橋のデパートに福袋を取りに行って来ます!』と言って出かけて行きました。午前中は、花小金井にあるスーパー入浴施設に連れて行ってくれ、温泉を楽しませてくれたのです。奥さんをそこに残して、私を、同行しなかった家内のいる家に送ってくれ、奥さんを温泉で拾って、お嬢さんと出かけたのです。
彼らの福袋だと思っていたら、家内と私にと、暮れに予約しておいたものを取りに行ったのです。『お客ではなく、家族ですよ!』と言うし、親のように慕ってくれる彼らに感謝して、《客气keqi/遠慮》をしてしまうと、彼らは叱るのです。それが、彼らの「本心」なのです。〈嫌はいや〉、〈好きはすき〉をはっきりさせる国民性なのでしょう。本心を隠してしまう日本人とは違うのです。
遠慮の日本人の私は、ずいぶん無遠慮になっていますが、今日の午後、上の息子が母親を送ってくれると言うので、『栃木に帰る!』と言ったら猛反対していましたが、強引に納得さしてもらったのです。『ジャンケンしよう!』と言ったら大笑いをしてしまうほどの、良い関係が彼らと私たちの間にあります。
息子が、華南の街を訪ねた時、空港に迎えに行ってくれ、彼らの家に泊めてくれたことがありました。言葉が両者は違い、理解できないのに、《愛の理解力》が働いたのです。正月の二日には、下の息子夫婦も呼んでくれて、一緒に団欒と祝辞の時を設けてくれました。
ベランダや室内ののグリーンも生きていますから、放って置けないのが、帰宅の理由です。一部屋を、私たちの住まいにするからと、引っ越しを提案してくれるほどの若き、異国の友人がいて感謝な交流を楽しでいます。なんだか、今日の午前中には、「角上」と言う魚屋さんで、お土産を買って持たせてくれると言っています。《限度なしの交際》は、私たちの宝です。夜が明けようとしてしています。
(朝食の食卓です)
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