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年明けと共に、北国や日本海側では、大雪に見舞われ、去年の夏の異常な暑さと共に、この冬の降雪量には驚かされます。子どもの頃に、冬になると、雪が降るのを待ちわびたり、雪中で、「ゆき」を歌いました。降っていると綺麗ですが、降り止むと道路や水道管が凍結したり、車の tire の slip 事故や、転倒事故が多く見られます。
1 雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く
2 雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで 丸くな
去年の夏に出かけた群馬県の水上で、三国街道の須川宿の宿に泊まったのですが、朝の散歩で、山を見上げて、この険しい道を、江戸期や明治期には、しかも冬季には、どんなに難儀して越後長岡、佐渡に向かって登って行ったのだろうか、と思っていました。朝早く発って、猿ヶ京から三国峠に向かい、越後の雪深い街道を歩いたのを考えると、昔の人の健脚さには驚かされるのです。
国道が整備され、高速道路も敷設され、新潟新幹線、上越新幹線ができ、空を飛ぶ空路もできた今では、三国峠を越える当時の旅は、想像するだけでも、尻込みしてしまいそうでした。
江戸時代の後期に、「北越雪譜」と言う本が、1837年(天保八年)に、江戸で出版されています。「こしひかり」の発祥地であり、産地の魚沼近辺の様子を、鈴木牧之が記したもので、「青空文庫」にも所収されています。出版されると人気を博して、best seller となりました。冒頭の図は、雪片の図で、科学者のように観察し記録しているのに驚かされます。
雪道を歩くガンジキや簑(みの)などの図も描かれています。雪深い越後国に生活ぶりが、雪の少なかった江戸などでは想像することもできないほど過酷だったことが、江戸町民の興味の惹き起こしたのでしょう。三国街道の山岳部の険しい山道を、進んで三国峠を越えて行くのは、冬場は、並大抵なことではなかったのでしょう。
新潟の農業学校の校長をされた方が、私の最初の職場においででした。好々爺といった感じの方で、三十代の課長の下で、『はい!」と言って、従っていたのが印象的でした。一緒のバトミントンを、昼休みに楽しんだのです。青二才の生意気な私を可愛がってくれ、生き方を教えてきださったのです。私が知ってる越後人は、この方が代表でした。
今年は、歩いて三国峠を越えてみたいなと思っています。もちろん雪などない、初夏がいいのですが。こしひかりのおにぎりに、竹の水筒(みずずつ)を腰に引っ提げて歩いて、昔にの旅人の思いを辿ってみたいものです。できるでしょうか。
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