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暮れから正月にかけて、お邪魔した中国人のご家族の家で、夕食の用意を一度だけさせていただいたのです。中国でも、何度も作った招待料理で、《和風ハンバーグ》とネギと卵の片栗粉スープを私が作り、ポテトサラダを家内が作ったのです。
けっこう上手にできて、五人で食卓を、和気藹々で囲んで、楽しく食事をしたのです。これは、母が作ってくれた物を真似て自分流に少し変えたり、加えたりして作っています。当時、お肉屋さんには、挽き肉は作り置きがなかったので、母は、わざわざ挽いてもらっていたのです。
育ち盛りの4人の胃袋を満たすのは大変なことだったろうと、今になって思っています。どんな有名店と比べても、あの味も形状も匂いも、勝るとも劣らない、いえ母のが一番の美味で、まさに《お袋の味》だったのです。
1959年から1965年の間、当時のNET(今のテレビ朝日の前身です)というテレビ局から、「ローハイド( Rawhide )」と言う、カーボーイの西部劇番組が放映されていました。当時の一番人気の番組で、一時代を画したと言えるでしょう。もう勉強はそっちのけで、夕食時に喰い入るように観たのです。
舞台は、アメリカのサンアントニオ(Texas 州 )からセデリア( Missouri 州)まで、3000頭もの牛を運ぶ物語でした。後に有名な俳優や映画監督となるクリント・イーストウッドが「ロディー」副隊長の役で、隊長の「フェーバーさん」をエリック・フレミングが演じていました。そのカウボーイたちの食事を作るコックの「ウイッシュボーン」が、腕を振るっていたのです。
調理された肉や豆やグリーンやパンを、木株や地面に座って食べる場面が、きっと毎回あったのです。それほど豪華ではないにしろ、一日の牛追いの労働から解放されて摂る夕食が、野生味があって美味しそうでした。それと、母の作る洋食(アメリカ食ではなくドイツ食でしたが)の《ハンバーグ》の味が重なり合うのです。
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普段は、箸で食べるのですが、ロディーたちの真似をして、fork に持ち替えて、ハンバーグを砕いて、ご飯と混ぜて口に運ぶのです。そうするとテキサスの砂っぽい草原の匂いや味がして、フェーバーさんやロディーになったかのように思えて、なんとも美味しかったのです。
豊かなアメリカが、当時の私たちニッポン少年には、憧れだったのです。繁栄とは程遠い、テキサスに草原を行く男だけの社会は、高度成長期にあった日本では人気の絶頂だったのでしょう、少なくとも自分にとっては、ものすごい刺激となっていました。
そのハンバーグを作ってくれた母が行っていた教会は、Texas 出身の宣教師さんが牧会をしていました。フェーバーさんとは雰囲気が違っていましたが、青い目の好男子でした。長く母を信仰的に養ってくださった方だったのです。我が家でも、家庭聖書研究会が持たれていたでしょうか。この方は、馬の代わりに車を持っていて、信者さんを送り迎えしておいででした。家内も、そうされた一人だったようです。
ドイツが原点のハンバーグですが、母手作りの和風ハンバーグも、Texas の草原の夕飯も、ただただ懐かしの一言に尽きます。一度、Texas に、さまざまな思いを抱きながら行ってみたいものです。
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