ことば

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 時は敗戦後、場所は結核専門病院の診察室、特効薬も栄養価の高い食べ物も手に入らない患者に、こちらも敗戦で混乱していたのでしょう、その担当医師が、『君、もう治らない。だめだよ!』と診察の所見を話したのです。一縷の望みを繋いで病院に通っている女子大生は絶望し、次からは病院に見えなくなり、同病の友人から亡くなった旨、義母が聞いたのです。

 病友の死を知った義母は、『人の生死を握っている医師のあなたが、そんな決定的なことを語った結果、彼女は死んだのです。軽率なことばに気をつけてください!』と、その医師に語調荒く抗議したそうです。筑後女(美しくて、気が強く、粘り強い)だからでしょう。

 権威ある立場、専門の立場にある人の語る「ことばの力」の大きさを学んだのです。義母は、戦後、マッカーサーが遣わした宣教師が、伝道で配布した文書を、長女が駅前でもらい、持ち帰ったものを読んだのです。その小冊子に、次にように書かれています。

 『太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。 この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。(約翰傳113)』

 これを読んだのです。医師の語ったことばの重さを痛感していたので、小冊子に記された「言」に目を止めたのだそうです。そこに記された住所に、アメリカ人宣教師を訪ね、「ことば」について質問します。納得できるまで訪ね続け、「ことば」である、イエス・キリストを知って、「救い主」と信じて、baptisma を受けて、基督者になったのです。 

 ブラジルで伝導してきた一人の老牧師が、私たちの招きで来られたことがあります。若き日に、『〇〇、満州!』、「△△、ブラジル!』と、監督の「ことば」に従って、すぐに任地に出かけた時代、この方はブラジルのサントスへの船に乗って、日系人伝道に赴いたのだと言っておられました。また、『行け!』と命令を下した上官の「ことば」に従って、いく百万もの命が、戦場の露と消えていきました。

 「ことば」は、人の一生や生死でさえおも決定します。義母は、義父と共に、高校を出たてで、ブラジルに移民した長男を訪ねて行きました。命に至る「ことば」を伝え、子どもの頃に告白した信仰を確かめるために出かけたのです。自死した移民仲間の亡骸を埋葬したり、移民者の辛酸を舐めた義兄は、私が訪ねた時、信仰を失ってはいませんでした。

 人と人とを繋ぐ「ことば」は、関係を築き上げもすれば、容易に壊すこともできます。人を激励し、生を肯定する「ことば」は、落胆した人の頭を上げます。

 『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ408節)』

 連れて行かれた教会学校で聞き、高校生の頃に教会に特別集会に行って聞き、学校に入った時に、入学祝いに、母に聖書をもらって読み、「神のことば」に耳を傾けてきました。神の啓示の書、預言の書、訓戒の書、生きる道を示す書なのです。漢訳聖書は、この「ことば」を、「道dao」と翻訳し、ギュツラフ訳の本邦で最初の聖書は、「かしこきもの」と翻訳しました。人格を持たれた、人となられた、神の子のイエスさまを言っています。それは当を得た翻訳だったのです。聖書は、キリスト・イエスが、どなたかを記した書であります。「ことば」によって、ご自身を啓示されています。

(聖書の「死海写本」の一部です)

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