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 明治37年(1904年)、日露戦争の軍役について、旅順口(中国の遼東半島)にいる、二歳年下の弟を思いながら、与謝野晶子が詠んだ、「君死にたもうことなかれ」は、当時大きな波紋を日本社会に投げかけしました。

おとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)
安しと聞ける大御代(おおみよ)
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

 戦争が始まるのでしょうか、応戦も攻撃も、何か準備が整っているように、ニュースが伝えています。また、あの轍(てつ)を踏むのでしょうか。仕方がない戦争なんてあるのでしょうか。そんな準備をするよりも、戦争を避ける努力をしないのはなぜでしょうか。外交努力を正しくしなかった結果、戦争に突入せざるを得なかった過去に学ばないのはなぜでしょうか。

 戦争をするなら、提案があります。国際戦争場を作って、そこで戦士同士で戦うのは、どうでしょうか。兵士の年齢は、極力、老齢になっても筋肉を鍛えている国家責任者のような人たちが戦ったらいいのです。そう素手でするのがいい。体に油を塗って、ルールを決めて戦ったらいいのです。そう、戦争をしたがるおじいさんたちが、戦闘服を着て戦争ゴッコをしたらいいのです。どんな武器も手にしないのです。相手の血を流したら負けにします。

 これまで、戦場に送られたのは、晶子の弟のような若者たちで、まあ中年もいましたが、戦争の計画者たちは後方にいて、実戦から距離を置いていたので、そう言う人たちこそが前線に立つべきです。殺し合いではなく、くすぐり合うのはどうでしょうか。笑ったら負けがいいではありませんか。

 そうしたら、戦役についた弟を心配したりしないで済むのです。どれだけの親や兄弟や姉妹が、戦死した子や兄や弟や許婚(いいなづけ)を無くしてしまったか知れないのです。家内のリハビリ仲間の方は、優しかったお兄さんを戦争でなくしていて、わが家に見えた時に、優しかったお兄さんを、懐かしく思い出してお話をしておいででした。

 せっかく生まれて来たのだから、生きる戦争、生きて戦争、例えば《ことばでする激論戦争》なんかが、21世紀には相応しそうです。私は叔父を知りません。応召して、南方で戦死してしまったからです。父の子どもの頃のこと、ふるさとの様子を聞くこともできず仕舞いでした。友人のお父さんは、中国大陸でなくなり、残した軍帽をかぶってチャンバラごっこをしたと、言っていました。『きみ死にたもうなかれ!』の正月明けの朝です。

(車の通った跡の「轍(わだち、てつ)」です)

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