美学

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 『ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。(ヘブル人29節)』

 同年生まれ、同学年の波野達次郎、歌舞伎俳優で、先日亡くなられた中村吉右衛門は、日本人の「誉れ」を象徴する「人間国宝」になっています。それなのに、私は、小学校5年時に、工作と絵とで、街の展覧会で銅賞をもらっただけ、それっ切りで勲章も賞状も感謝状も、全くもらうことなく、今日に至っています。

 〈無冠の凡人〉、ちょっと寂しい気持ちがしないでもないのですが、これが実力、実績で、まあこれでいいかの私なのです。いつ頃からでしょうか、「国民栄誉賞」と言う表彰が始まったのですが、それを辞退した人が何人かおいでです。一番面白い辞退の理由が、ちょっとつぶやいたことばの方が大きくなって、『そんなもの貰ったら、タチショウベンもできへん!」と言ったとか、福本豊(阪急ブレーブス野球選手)で、なかなかの好人物です。本音をはっきり言える、この方が羨ましいなと思ったのです。

 この上の素敵な赤色を配した陶器は、河井寛次郎の作です。この方は、島根県安来の出身で、母のふるさとと近いこともあって、素晴らしい作風に魅入られているのです。ここ下野国には、有名な陶器の町があります。「益子(ましこ)」で、この街の窯で焼いたものを「益子焼」と呼ばれています。江戸の末期に、笠間で修行をした大塚啓三郎が始めています。東京が近かったこともあって、日用の釜や壺などが作られて、今日に至っています。

 この河井寛次郎は、「文化勲章」を辞退したことでも名を馳せた人でした。栄誉や名誉を得ることが、陶作の動機ではなかったからです。こう言った人の生き方を、「固執しない美学」と言うのだそうで、師を持たなかった人で、今の東京工業大学の窯業科で学んで、陶作に励んだのです。科学的な方法で陶芸に打ち込んでいた方でした。

 十字架に刑死して、墓に葬られたイエスさまは、「・・・死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。」と聖書にあります。罪のないお方が、罪を赦すために、代わって死なれ、苦しまれたので、「誉れ」を受けられたと言うのです。天地の創造主である父なる神からの名誉の付与であります。

 何も取り柄がなく、『ただ生かされてある!』と言うのが、くすぐったくなくていいのでしょうか。この気持ちで、今年は生き始めています。きっと、人の生き方に見られる《美学》は、そんな風に生きる凡々たる生き様なのでしょう。アッ、訂正があります。子どもたちから感謝されたことがあったのを忘れたことがありました。

(陶芸家の河井寛次郎の作品です)

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