中央画壇から離れ、50歳の初めに、南海の奄美大島に居を構えて、創作活動に明け暮れた日本画家、田中一村の絵に、生き方に魅了された、今年の後半期でした。写真だけで、実際に見ていないのに、そうなるのは、絵の中に、画家の思想や人生観が無言のうちに表れているからでしょうか。
江戸期の浮世絵師たちの多くは、商業画家でした。版元に依頼されて、商業ベースに載せて、売れる絵を描いていたのです。ところが、この一村は、大島紬の染色工の仕事をしながら、お金ができると、画材を買っては絵を描き継いで行くという、奄美での創作の日々は、中央画壇の評価を得たいがためではなく、お金のためでもありませんでした。
情熱を注いで、描きたいものを描くという生き方が、魅力的ではないでしょうか。阿(おもね)ることもなく、衒(てら)うこともない生き方が好いのです。浮世絵で日本画家の鏑木清方の個展が、横浜であって、その警備のアルバイトを、私はしたことがありました。美人画の大家で、明治から昭和にかけと大御所でした。素晴らしい絵でした。
一村の絵には、人物画、美人画がほとんど見られません。ただひたすら鳥や花や景色を描き続けたのです。死後になって脚光を浴び、評価を得ますが、生前は、顧みられることがありませんでした。ライになって故郷を追われ、奄美の療養所に入所していた少女の母の写真から、肖像画を描いてを上げたという話を聞きました。この少女だけではなく、多くの患者さんの絵も描いたそうです。
この方は、社会的な弱者に対する「優しさ」を持っておられたのです。そんな心の思いになりたいものです。
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