紅葉

 

 

12月1日、国営昭和記念公園の「日本庭園」の紅葉です(武蔵野市Tommyさんの奥さんの投稿[☞HP/里山を歩こう])。こんな鮮やかな紅葉が、立川や昭島で見られるのですね。武蔵野は、「くぬぎ林」で有名で、私の通った学校は、まさに「くぬぎ林」の中にありました。それも、都市化や宅地化で、もう消えてしまったことでしょうね。

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Art

 

 

日本文化に「落語」があります。その「話芸」の起源は、諸説あるそうですが、江戸時代(1603年~1868年)初期に、人前で、「辻噺(つじばなし・道端で笑い話などをしてお金を得ること)」をしたのが始まりとされています。江戸時代の後期には、江戸っ子の娯楽として、「江戸落語」が盛んになったそうです。明治、大正時代には、三遊亭圓朝が近代落語を完成させています。

座布団に座った噺家の道具と言えば、扇子と手拭い、強いて言えば湯飲みも入るでしょうか。これらを巧みに使いながら、話芸をするのです。正座したまま、時には1時間も話し続けるのですから驚きです。自分も、教員をしたり、今日まで、人の前で話をし続けて生きてきました。この落語は、季節や時に応じては、「枕(まくら/本論ではなく導入の話)」は変わるのですが、あれだけの話を、ほとんど正確に記憶しているのには、驚かされます。並の修行ではできません。

その噺家の中で、「名人」と言われた一人が、もうだいぶ前に亡くなられたのですが、六代目の三遊亭円生でした。大阪生まれでした。ところが、江戸弁の『そうでげす!』と話しているのを聞いたのが、今でも耳に残っています。この円生は、6才の時に、20ほどの演目を持って、高座に上るほどの天才少年だったそうです。

通常、「真打(しんうち)」は、30~40年の間に努力を重ねて、100席ほどの演目を身につけるのが普通なのだそうです。ところが、円生師匠は、何と300席を、いつでも、どこでも自在に演じることのできた、稀代の噺家だったそうです。『え~一席、ばかばかしいお話を・・・』と言って話し出す落語ですが、それだけ、たゆまぬ研鑽を積まれた円生師匠に敬意を覚えさせられたのです。

自分にはできない職業があります。この噺家と職業運転手です。ある落語家が、次の話が出なくて、高座を降りたまま、二度と高座に上がらずに廃業した方がいたそうです。それだけ真剣に仕事に取り組む「ずく(信州や甲州の言葉で"根性"の意味)」が、自分にはないからです。また運転も、相手の幅寄せ、横入り、ノロノロ運転に耐えれない私は、できないと思わされていました。もち論、運転免許証を返納した今は、ハンドルは握れませんけど。

自分では、しないけど、聞くことと、乗せていただくことは楽しめると思っています。間(ま)とか呼吸というのでしょうか、上方も東京も、落語の話芸には、"Art(芸術)"を感じてなりません。絶品と言えるでしょうか。先日、公共バスの中のテレビで、こちらの「お笑い漫談」をしていました。その話芸が聞いている方々の爆笑を呼んでいましたから、これもまた"中華芸術"に違いありません。

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