それを “ go sigh “ として出掛けたのです。まさに、器から器に移されたかの様に思えたのです。それで天津で一年間漢語を学び、父が若い日に過ごした東北地方に行くのを考えていましたら、長男の友人で華南の街の方が、招いてくれて、その街に行き、そこで12年を過ごすことになった次第です。実に素敵な年月でしたが、家内が病んだのを契機に帰国を致しました。
その年月は一言では語り尽くせません。時々、” face time “ で、華南のみなさんと交わりを持ちますが、いつも、『あなたたちはいつ戻ってきますか?』と言われます。まさに実の兄弟姉妹の様なみなさんと共に過ごした日々が懐かしくて仕方がありません。東京で新しい事業の準備をされておられる、中国人のご家族がいて、彼の友人父子と、先月は、マスク姿で見舞ってくれました。
英語の題は、” My utmost for his hightest “ 、日本名の「いと高き方のもとに」です。「百万人の福音」と言う月刊誌に、1971年から一ヵ年の間、掲載字数の制限があったので、意訳されて掲載されたものに、訳者の湖浜馨師が手を加えて、1990年に出版されたものです。それを手元に入れて読んでいるのです。
内村鑑三が、「代表的日本人」として、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮と、この上杉鷹山の五人の歴史上の人物を取り上げて、紹介しているのです。内村は、1906年に、アメリカのニューヨークで、“Japan and The Japanese” と言う題で、英語で書きました一冊の本を出版しています。鎖国を打ち破って、国際社会に参入して行く中で、日本と日本人を、欧米人に知らせようとしたのです。と言うよりは、自らの「日本人としてのアイデンティティー(日本人像)」を明確にしたかったのだと評されております。