「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。 (ローマ9章3節)」
エステルが、自分の民族の絶滅の危機に臨んで、叔父のモルデカイの勧めで、禁を侵し、命を賭して、王に執り成しをしました。それで民族滅亡の一大事を回避しています。またデンマークの戦後の荒廃、国家消滅の危機の中に、36歳の元工兵ダルカズは、息子と共に立って、祖国の経済自立の基礎を据えました。
未曾有の天災、関東大震災で帝都東京が、壊滅的な被害受けました。東洋一の首都に復興するために、後藤新平が果たした貢献は実に大きかったのです。奥州水沢藩士の子でしたが、家は貧しかったそうです。しかし反骨心の旺盛な新平は、医学を学んで医師になります。その後、政界に入り、外務大臣などを歴任した後、東京市長に就いたのです。そこで、その才腕を奮ったのです。
後藤とほぼ同世代の内村鑑三は、「日本の良心」を保った点で、後藤に劣らない働きを、都市にではなく、人の一生に関わる影響を与えています。多くの明治期の青年たちを啓発して、日本に「義の精神」をもたらし、「神を畏れる人」を、日本の社会に輩出したのです。それは隠れた貢献とでもいうのが宜しいかと思います。
このパウロの迫真の《同胞愛》に驚かされます。これは国粋主義でも、自分の民族への過大な誇りから出たものではありません。「キリストの愛」が迫った結果のパウロの強固な決心でした。「キリストの心を心とせよ」、まさしくパウロは、その心を宿していたのです。
キリストの迫害者からの見事なパウロの転身は、人間的な決心にはよりませんでした。それこそ聖霊の御業でした。裏切られようとも、嫌われようとも、捨てられようとも変わることなど全くないパウロの同国人への愛を、私は持っていません。同胞の救いのために祈りますが、足りません。
「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』(マルコの福音書16章15節)」
ところが、同国人でない日本人の救いのために献身し、来日し、膝を折って跪き、涙を流して祈っていたのが、私を育ててくれた宣教師でした。この方を日本宣教に促したのが、私の母教会を始めたアメリカ人宣教師でした。太平洋戦争に従軍し、日本軍と戦った経験があり、戦後日本に駐留した兵士でした。
戦場での残忍な日本人と、進駐軍で任務について、戦後、日本で接した、優しく親切な日本人との違いに驚いたのです。その驚きの中で気付いたのが、日本人に何よりも必要なのは、「福音」だという結論に至ります。それで聖霊に促され、準備をして日本にやって来たのです。
その初期に出会ったのが、家内の母親と上の姉でした。家内の家族は、けっきょく宣教師の住む街に転居しています。街の路上で義母と出会った私の母は、その教会に導かれたのです。多くの人がキリストと出会い、信仰を継承してq生きました。そして、家内や私は二代目、今や三代目、四代目の世代になっています。
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