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小学校の社会科で、インドの南にある島を「セイロン」と学びました。ところが、いつからでしょうか、「スリランカ」と国名が変更になっていたようです。新しい歴史の事実が発見されて、歴史の記述が変わってしまうように、国名も、指導者が代わり、新しい法律ができたりして変わっていくのですね。うっかり旧名で呼んでしまって、『アッ、1978年に変わったんだっけ!』と、後になって思い出してしまいます。おいしい紅茶の代名詞のような国ですが、国語学者の大野晋は、このセイロン島の北東部と、インド半島の南部に居住する「タミル人」の言語が、日本語の起源の1つだと主張していました。農耕で米の栽培に関する言語が、近似しているので、海上を船に乗ってやって来たタミル人によって米の耕筰法が伝来されたと主張しました。それと一緒に、「ことば」も伝わったというのがこの方の学説です。「畑」はpat-ukar(田、畑の意)、「田んぼ」はtamp-al(泥田の意)、「米」はhakum-ai(臼で脱穀するも意)と言うのだそうですから、興味がつきません。
さて、このセイロンに、『むかしむかし・・・三人の王子がいました・・・』で始まる童話が残されています。セイロン島のセレンディップ王国があって、そこの三人の王子さまが、悪の権化である竜を退治に出かけていくのです。なんだか鬼ヶ島に行った桃太郎伝説を思い出すよう話です。自然を愛する上の兄、幻術を愛する次の兄、弟は勇気を愛する、三人三様の善良な三兄弟が、力をあわせて難関に立ち向かって行きます。そして竜退治の旅の途中で、上の兄たちは、王族の娘をめとり、弟は百姓の娘を妻とします。それぞれ愛する女性を見つけるのです。三兄弟は、旅の途中で出くわす、様々な問題や物事に、協力しながら立ち向かって、解決の道を見出していきます。彼等が生まれつき持っている才能や性格、たとえば勇気や知恵が用いられていくのです。結局、そういった出来事の中で、自分の中に問題解決の糸口や策があることを知るのですが。
この三人の王子の童話から、最近、よく聞く「セレンディピティ」と言う言葉が注目されています。何か困難な場面に立たされるとき、また大きな問題に直面するときに、その解決をもたらすものは、技術や方法ではなく、自分の目の以前や自分の内側にあるものだというのです。目的を果たせななかったけれども、何かに向かって努力していくうちに、期待に反し、予期しなかったこと、副次的に益になるものを見つけ出せることを、言っていることばのようです。あの「星の王子さま」の話も、すぐそばに大切なものがありましたし、チルチルとミチルの「青い鳥」も、近くにいたのです。「偶然の幸せをつかむ能力(Serendipityセレンディピティ)」があるのでしょうか。水を掘っていたら、石油が湧き出したり、芋を掘っていたら金が出てきたり、幸運の物語が多くありますので、私たちの人生にも、そんな経験が多くありそうですね。
何時でしたか、ある雑誌を読んでいましたら、お母さんの手記が載っていました。「子育ての回顧録」で、誤解していたことが、かえって益になったという話です。このお母さんは、《こはかすがい》という言葉を聞いて、『子はカスがいい!』と聞き取ったのです。このお母さんの息子は、どうしょうもない手の焼ける子で、いたずらはする、勉強はしない、親の言うことは聞かない、札付きの不良だったのです。子育てに悩んでいたお母さんの耳に、『不良で、なんの役に立ちそうにもない、クズのような、酒を絞りとったときの残り〈粕〉のよう子が、一番良いのだ!』と信じて、息子を諦めたり捨てたりしないで、一生懸命励まして育てたのです。そのお母さんの誤解によって、息子はやがて更生し、立派な大人に成長していったという手記でした。口がもつれてしまいそうな、「セレンディピティ」と言うことばを聞いて、そんな話を思い出しました。
盗みをして捕まりました。警察に通報されなかったのですが、学校に通報されました、私の通っていた中学は私立で、何処の学生かすぐに分かってしまう制服を着なければなりませんでした。担任は、それを問題にしないで、不問に付してくれました。そんなことが何度かあって、昔の《感化院《少年院とか少年刑務所》に行かないですんだのです。きっと行っていたら、感化院の中で多くの犯罪テクニックを学んで出てきて、大悪になっていたことでしょうか。カスのような私が、今日も、このように生きているのは、小学校から高校まで世話してくれた先生たちにとっては、《予期せぬこと》だったかも知れません。そんなことを考えていましたら、何だか、「漂泊の思い」にかられてセイロンにでも行ってみたくなってしまった、年の瀬であります。
(上の絵は、「セイロンベンケイソウ」、下のamazonの本は、「セレンディップ(セイロンの旧国名)の三人の王子」です)