人の帰りを待たれる神がいて

.
.

 「十年待ち続ける」、何を待ったのでしょうか。一昔と言う時を費やして待つと言うのは、忍耐だけではなく、愛されたことへの愛の応答に違いありません。愛された者が、愛してくれた人の帰りを待つのです。人だけではありません、一匹の飼い犬が、慕う主人を駅頭に待つと言う美談が、かつてありました。

 渋谷駅前に、10年も、主人の帰りを待ち続けた「ハチ公(渋谷の街で愛されたので〈公〉をつけて呼ばれたのです)」の像があります。「忠犬」と言うタイトルを持つ、秋田犬で、ハチの飼い主は、愛犬家だったそうで、東京帝国大学の教授の上野英三郎で、家を出る時には、このハチを伴っていたそうで、渋谷駅で、別れるのですが、帰りの時間が近づくと、ハチは大向(現、松濤一丁目)から、駅に迎えに出ていたのです。ところが、飼われ始めた次の年に、主人が急死してしまうのです。1925年、大正14年のことでした。それから10年後に、駅頭で、待ち続けたハチは死んでしまうのです。

 この渋谷駅は、通学には通過した駅でしたが、時々降りては街歩きをしたり、喫茶店に入ったりしました。二度ほど、その愛犬、「ハチ公」の前で、人と待ち合わせをしたことがありました。ハチって、10年も待ち続けることができた、忠実な犬だったのですね。

 聖書の中にも、「待つ」話があります。ルカによる福音書 15章11~32節)に、二人息子を持つお父さんに、財産分与を、生きているのに要求して、全てをまとめて、父の元を去る弟息子の話があります。本当は、主人公は、お父さんなのですが、どうも多くの教会の中では、弟息子を「放蕩息子」と呼んで、こちらを主人公にしてしまっている様です。その方が、劇的であって面白いし、そう言った息子が多いからでしょう。

 中国語では、「浪子」と言います。きっと海の波のように奔放で、放縦で、自分を波の動きに任せている様子から、そう呼ばれるのでしょう。日本語に訳しますと「道楽者」とか「放蕩息子」になるでしょうか。模範児でなかった青年期の私も、きっと,世間から「浪子」のように思われていたかも知れません。両親の寵愛を受けて、我侭いっぱいに育てられた井の中の蛙、それが私でしたから。

 その住んでいた世界の「狭さ」と「平凡さ」とに飽き足りなく、不満で、この弟息子は、心を満たしていました。『きっと遠いあの街には、面白いこと、刺激的なことがあって、俺を満ち足らせてくれるに違いない!』と、日がら思い続けていたのでしょう。父の目も、親戚の干渉も、兄との競争も避けたかったのかも知れません。それで別世界での生活に憧れ、「新天地」での生活を夢に見始めます。雑誌もテレビもない時代、その別世界が、どんなに素晴らしいかを目と思いとに、はげしく誘ってきたのです。

 未知の世界は、『広さと刺激に満ち溢れて楽しい世界だ!』と、すべての情報は誘っています。そうなると、日常の義務が手につきません。遠い空を眺めては、ため息をつくばかりです。その夢の実現のために、大雑把な計画を立て始めます。どんなに算段してみても、彼には自立する能力も資金もないのです。

 それでスポンサーを捜しますが、この未熟な男に用立てる大人は皆無です。叔父や叔母は全く相手にしてくれません。銀行だって貸してはくれないのです。それで父の財産の「自分の相続分」に食指を動かします。それは父親の存命中には、相続することはできません。それで父親の泣き落としにかかったのでしょう。

 その芝居のうまさに、騙されやすい父は負けてしまったのでしょうか。それで相当分の財産を、お父さんは分与してしまいました。彼は旅支度をして、父と母と一緒に育った兄を、故里と共に捨てます。大金が彼の手に握られているのです。憧れの地にやって来た、こざっぱりした身なりの彼の周りには、大勢の若者たちが群がってきました。

 金払いの良い彼は、おだてられると湯水のようにそのお金を使っていくのです。彼らと過ごす時間は、夢のように過ぎて行きました。夢から覚めて、ポケットの財布を開き、銀行の講座をの残高を見ますと、一円も残っていません。無一物になったことを知った遊び仲間は、潮が引いていく様に彼の元から離れていきました。完全な金銭的な破産でした。そればかりではなく、精神的にも破綻をきたしていたのです。

 夢が、これほど短時間に、しかも容易に砕けて仕舞うとは、夢にも思いませんでした。その現実に直面して、初めて彼の目が覚めるのです。「瞬きの間の独り芝居」という名の幕が上がってしまうと同時に、彼は父の家を思い出すのです。幼い日から、ふるさとを捨てた日までの楽しい思い出が走馬灯のように思いの中を巡ったのでしょう。

 父の笑顔と、その額から流れ落ちていたの父の汗を思い出します。そして、『きっと父は、私のために涙だって流しているに違いない!』と思い始めると、いても立ってもいられなくなりました。『そうだ、父の家に帰ろう!』、そう思うと同時に、彼は、故里に向かって歩き始めたのです。はかない夢から覚めたのです。
.
.

 父の家に近づいた時、彼が父を見つけるよりも早く、父が見つけてくれていました。彼が走るよりも早く、父が走り寄って来たのです。父を裏切り、傷つけた彼を抱きかかえ、幼い日にしてくれたように頬ずりをしてくれたに違いありません。想像が膨らみます。まるで彼が遠い過去に負った傷を癒すかの様にしてです。

 ここに描かれている父親は、「待っている父」なのです。条件なしで、帰ってくることを信じて、待っていてくれるのです。あのハチが10年待ったのと違って、いつまでも、信じながら待つのは、この父親なのです。今も、待っていてくださる「父なる神」こそが、この二人息子の、弟息子のお父さんのタイプなのです。神が接近してくださるのです。だから、私たちの救いは、「恩寵」であり、「一方的」であり、「憐れみ」であり、「圧倒的」なのです。

 喜び勇みながら、故郷に戻り、そこで待っていてくださる父のいる家に向かうこの弟息子の顔は輝いていたことでしょう。そこに、ありのままで受け入れてくださる父がいるのです。やがて歓迎の宴が開かれたのです。私も、待ちたもう神に、受け入れられ、赦された者であります。

(ウイキペディアの上野さんの家族とハチのl写真、 “ Christian clip arts “ から「待ち抱きかええ迎える父」です)

.

信仰の継承

.

.

『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言17章1節)』

 人生の目標も、信仰者としてもゴールも、”successful “ だという、指標を掲げた教会で、救いに導かれて、育てられ、やがて献身して、伝道者としての訓練と教育を受けて、宣教師さんの建て上げられ教会に、牧師として招請された方がおいででした。

 そこは大きな都会ではなく、地方都市にあった教会でした。2年ほど続けてお招きくださって、教会の特別集会でお話をさせていただいたことがありました。その最初の年の最初の集いで、この箴言のみことばを読んで、お話をしたのです。

 実は、家内と私の子育ては、子どもたちの級友たちと比べると、だいぶ厳しかったようです。それでも、かつてあったスパルタ式でも軍隊式ではありませんでした。私を育て上げてくださった宣教師さんは、二人の男のお子さんに、しなやかな鞭を振るって育てておいででした。彼が、そうした根拠は、聖書にあったのです。

『むち(鞭)と叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(箴言29章15節)』

 長男が産まれて大きくなっていき、物心がついて、2歳ほどになっていた時に、長男が反抗的なことを言って、短気を起こしたことがありました。それを見ていた宣教師さんが、『コウキ、今、ヤコブをスパンク(spank、お仕置きとして尻をむちで打つことです)する時です!』と言って、その行為と態度と思いをを、見逃さないで、規律する様にと言ったのです。

 それで、彼と二人の部屋で、彼のお尻にベルトを使ってスパンクしたのです。もちろん、なぜスパンクするかの理由を言い聞かせてでした。そしてそれが終わると、彼を抱いて、話し合って、痛みによって、いけないことを教えたのです。今でしたら、児童虐待で、その光景を見たら、警察に通報されるかも知れません。そうやって、四人の子供を育てたのです。

 不従順と短気、他者を顧みられる人間になって欲しかったのです。そんな風に子育をしてきました。その根拠となったのが、初めの箴言のことばだったのです。ユダヤの社会では、乾いているパンは、スープに浸して食べるのだそうで、そのスープさえもない家庭の方が、ご馳走を食べて争いをする家庭よりもよいのです。肥えた牛肉や野菜のスープの並んだ食卓で育っても、家族の中に争いが絶えない方よりも、はるかに幸せなのだというお話なのです。

 それを聞いて、牧師さんが驚かれて、そんな箴言のみことばからの説教を聞いたことがなかったと言われたのです。それで、翌年もお招きいただき、その後では、そんなことを話す私を育てた、クリスチャンの母の話も聞かせていただきたいと、その教会の「婦人集会」に、母が招かれて、私も一緒に集ったのです。

 さて、ダビデの食卓には、親友ヨナタンの遺児、メフィボシェテが着いていました。敵の攻撃から逃れる時に、抱いていたこの子を、乳母が落としてしまったことで、足が不自由な子だったのです。王の食卓に、足の不自由な子を着かせたのがダビデでした。これもまた弱い者への憐みの心を、ダビデの子たちに学ばせるための配慮だったのでしょう。

 私の家には、両親を亡くした姉と弟がいた時期がありました。家族愛を知らないで、施設で育ったのです。少年鑑別所にいた弟を引き受けて、その姉も受け入れて、生活を共にしたのです。また自殺をしかけて、教会にやって来た若い女性や、高校で問題を起こした男の子を、家に迎えたりもして、いつも10人近い人がいたでしょうか。

 豊かではなかったのですが、子どもたちが弱い立場の人へのいたわりを学ぶ機会になったでしょうか。そんな私たちの子どもたちが、今や五十代になりつつあります。私の入院、手術、退院を機に、この暮の押し迫った時に、長男家族、次女家族、次男夫婦がやって来て、孫娘二人と私の誕生会と退院祝いの会を開いてくれたのです。あんなに賑やかで、楽しい時はありませんでした。長女は、主人の怪我後のリハビリで、そこに加われませんでしたが、FaceTimeで参加して、それは楽しいひと時でした。

.
.

『塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(マルコ9章50節)』

 四人の子どもたちは、スパンクされたことを恨んでいないようです。私が心掛けたのは、「一切れの乾いたパンでも和合している家庭建設」でした。豊かでも貧乏でもありませんでしたが、ほどほどの家庭ができたのではないかと自負しております。そして今や、子どもたちの家庭が、子育ての晩期を迎えています。

 優しい、他者を顧みられる子どもに育っているのでしょうか。この孫たちと同じ世代の頃に、われわれ世代は、アメリカ製の〈ナナハン(750cc/ HARLEY-DAVIDSON〉、国産の〈メグロ(650cc)〉や〈陸王〉などのバイクに憧れていた時代でした。でも、とても乗れる立場ではなく、諦めてしまいました。

 結婚し、家族が増え、車が必要になった時には、高級車種の〈トヨタクラウン(今ならレクサスになるでしょうか)〉を手に入れたかったのです。また、山麓にある別荘のような家に住んで、この車に乗り、歩く時には、〈REGAL〉の靴を履きたいなと思ったものです。

 ところが、主は、『あなたは、高校生が乗り古したバイクで、免許証をとりに教習所に通い、中古車センターに並んでいる日産サニーで十分です。靴も、靴センターの特売品が似合い、借家住まいでいいのです!』と仰りたかったのでしょう、まさに、その通りになりました。今は、自動車事故の代替の中古折り畳み自転車を、ハアハアと喘ぎながら、健康管理と言いながら跨いでいます。

 豊かではなくとも、心豊かにされている子どもたちが4人いて、彼らの四つの家族と、2024年の年末のひと時を、共に過ごせたのは、何にもまさって嬉しいことでした。夕刻にlは、長男家族、次男夫婦が帰って行き、2週間ほど滞在してくれた次女家族も帰って行きました。また二人だけになりましたが、二親の今後を、色々と配慮をしてくれているのです。

 自動二輪免許しか持たないでいた次男は、合宿で普通運転免許証を取得できる教習所で、二週間で免許証を取得して、東京からレンタカーで、奥方と同伴でやって来てくれました。今回の手術の三ヶ月前に、老いた父親が救急搬送されたのを機に、すぐに駆け付けられるようにと、一念発起して取得した、その免許証で運転し、駆け付けてくれたのです。

 狭い家が、賑やかだったのが、みんな帰って行き、広々としてしまいました。きっと、自分たちの両親も、同じ様な思いで、老いを迎えていたのでしょうか。4人の子持ちは珍らしかったですし、母親は大変だったのでしょうけど、今になると、家族が一緒だったことが楽しかったのを思い出します。

 私たちも四人の子がいた家庭でした。そこで育った子どもたちが、『心配しないでね!』と言って帰って行きました。感謝なことに、この地の近所のみなさんと、良い交わりが、私たち二親にあるのは、大きな助けであり、感謝なのです。

 何をさておき、感謝なことは、子どもたちや孫たちが、信仰を継承してくれていることです。

( “ Christianclip srts ” のイラストです)

.

αでΩでいらっしゃる主が

.
.

『「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」   自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。(新改訳聖書 ヨハネの黙示録22章12~14節)』

 2025年1月元旦、素晴らしい年の始まりです。何が素晴らしいのかと言いますと、『主は素晴らしい!』のです。人の幸せを願われるお方が、好いことをしてくださるからです。まどろむこともなく、眠ることなく、この365日の一日一日を生きる私たちを、見守り続けてくださるのです。

 間もなく陽が昇ってきます。その光と温もりは、全地を照らしてくれます。地に雨も与えてくださり、食べ物を養い育ててくださりるのです。間もなく春が来て、花を咲かせ、灼熱の夏が続き、実りの秋が来て、休息の冬が、めぐりめぐって到来します。

 嵐の吹く日も、病む日もあることでしょう。全地を統べおさめておられる主から、どんなことも受け取り、どんなことも楽しみ喜ばせてくださるのです。主がなされる「新しいこと」に、期待も膨らんでいます。間もなく迎えに来てくださる主にあって、いつも喜び、絶えず祈り、全てを感謝して、新しい日を迎えようと願っています。

.