「孫の手」の様な交流があって

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『孫たちは老人の冠、子らの光栄は彼らの父である。(新改訳聖書 箴言17章6節)』

 私が羨ましく思うことが、まだあります。孫たちが、私たちに4人いるのですが、その孫たちと家内のやりとりなのです。孫息子は二人、孫娘が二人で、彼らは従兄弟・従姉妹同士で、昨年末も私たちの家を、3人の子どもたちが、その子たちを伴って、訪ねてくれました。長女夫婦は、残念ながら来られませんでしたが、とてもにぎやかに十二月生まれの誕生祝いと、私の退院祝いとをしてくれたのです。

 血の繋がりでしょうか、家内が優しいのか、老いたり病んだりで弱くなったかも知れませんが、孫ベーたちが、4人で肩をもみほぐし、マッサージをして上げたり、好物を買ってきては、「孫の手」の様にかゆいところに届く気配りを示してくれていたのです。やっかみではないのですが、自分たちのバアバだと言うことで、とても仲良しなのです。

 とくに孫娘たちは、バアバが大好きで、家内はほころび続けてニコニコしているのです。そんな中、いつ頃からでしょうか、アメリカにいる孫娘から、時々、chat が家内にあるのです。まだ日本語の初心者の彼女は、たどたどしく短い日本語でチャットを送ってくると、それにバアバは返信をして、二人で楽しそうに交信し合っています。そのやりとりを見て、実に羨ましいのです。

 おばあちゃん世代の名前に、「子」が付くので、自分の英語名に、「Ko」を付けて自称しているのです。そろそろ進学を考える時期なので、専攻を決めねばならない時期の様です。ずっとHome school で学んできているのですが、前の学年は、公立学校に藉を置きながら、HomeとSchool とで学んで、最終学年は、郡の大学のCommunity College で単位を履修してきているようです。短大の履修単位は、もう一教科だけ残しているのだと、娘が言っていました。向こうの学びは多様で、私には想像がつきません。

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 長男の孫息子は、大学入試試験挑戦中、次女の孫息子は大学2年生、長男の孫娘は、今年は受験を控えています。歳をとるほどに、これからを生き抜けようとしている孫ベーたちを見ていると、彼らの親たちの育った子ども時代の様子とは、ずいぶんと違っているのを感じるのです。

 みんな「スマホ」を持って、21世紀の小道具を、分身の様にしているからです。彼らを取り巻いている社会は驚くほどに進歩でしょうか、もしかすると退歩しているのかも知れませんが、想像もしていなかった、今様な社会に、ちょと翻弄されているかに感じられます。価値が転倒してしまっているからです。

 便利になったのですが、生きづらくなっているのではないでしょうか。あまりにも情報量が多すぎるからです。simpleさが消えてしまって、あまりにも複雑な時代を生きているのでしょう。もしかすると翻弄されている様に思えるのは、私たちの年寄り世代が、もうついていけないからかも知れません。世代間のギャップが広がっているのです。

 そんな中を生きているのです。それでも私たちの安心は、正しく確かな価値観や人生観を身につけていてくれることです。この時代の荒波に翻弄されないで、しっかりと生き抜いていけると、私たちは信じているのです。スマホがもたらす情報やサインだけに煩わされないで、耳をすまして、神さまのみ声を聞いて欲しいのです。古い堅固な価値観に生きている様な、ジジババ世代に、こんな風に触れるのも、きっと好いことかも知れません。

(ウイキペディアの「孫の手」、いらすとやの「おばあちゃん」です)

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