いのちの水の川のほとりに立つ

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「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(「方丈記」冒頭)」

 高校の時に、鴨長明の著した「方丈記」を学んだことがありました。曹洞宗の寺院の僧職の居室を、「方丈」と呼ぶそうです。「丈」とは、和式の長さを表す数量詞で、ほぼ三メートルで、三メートル四方ですから、四畳半より少し広いのですが、寺の大きさに比べると、だいぶ狭かったのでしょう。

 母を産んで、養女に出した生母は、奈良の曹洞宗のお寺に嫁入りをしたのです。有名な藩の菩提寺でした。四人兄弟の私たちにとっては祖母にあたるので、その葬儀の後だったでしょうか、母の父違いの妹に会うために、母に伴って挨拶に伺ったことがありました。生涯三度目の寺泊でした。

 一度は、小学校の林間学校で、3クラス合同で、そのお寺に泊まったのです。悪さをして、一人だけで山門に立たされたのです。墓は見えませんが、あんなに怖いことはありませんでした。フクロウが鳴いていたでしょうか。忘れられたのか、なかなか、赦してもらえなかったので、ずいぶん長い時間、立たされ坊主でした。泣きませんでした。そんな仕打ちをするほどの悪戯ではなかったのですが、隣の学級の担任にでした。

 二度目は、高野山の宿坊でした。道徳教育の研修会があって、その事務担当で、専門委員の研究員の方と一緒でした。研修会から抜け出しを誘われて、山を降りてでしょうか、門徒や観光客のための食堂で、「胡麻豆腐」をご馳走になったのです。大豆の豆腐しか食べたことがなかったので、こんなに美味しい物があるのかと思って頂いたのです。三度ほど、胡麻豆腐で抜け出したでしょうか。

 この方が、短大の教授をされていて、東京に呼び出されたことがありました。『ここに来ませんか?』と誘われたのです。素晴らしい機会でした。でも、私は、宣教師に従って開拓伝道をしている最中だったのです。青果の仲卸をしていた方の手伝いで、早朝から青果市場で働いていた頃で、大きな誘惑でした。でもキッパリお断りして、自分の持ち場に帰ったのです。この方は、有名な哲学者のご長男で、倫理学の学者でした。

 仏法でも哲学でもない、母譲りのキリストに捉えら、召された私は、誘惑を何度か払い除けたのです。でも、多くの素晴らしいみなさんとの出会いがあって、たくさんのことを学ばせていただいたのです。

 母の妹、奈良の叔母さんにはよくしていただいて、すごいご馳走の膳に預かったのです。古の都のお寺ですから、地方都市の単立の教会の伝道者の膳とは大きな差がありました。でも、贅沢はできなくても、感謝な膳を、家内と子どもたちとで囲むことができたのは、素晴らしい時でした。

 さて、その寺院に住む僧職を、曹洞宗では「方丈」とも呼んでいるのです。ここにある「ゆく河」は、特定の河川ではなく、一般的に、「河」と言う書き始めなのです。京都を流れる加茂川でしょうか、高野川でしょうか、その両川の間で、鴨長明が生まれ育っていまたそうですから、その流れを眺めた記憶の中から、「ゆく河」と記して、この書を書き始めたとしてもおかしくありません。

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 私は、生まれた故郷の脇に、小川が流れているのを、大人になって訪ねて知りました。そこから沢違いの村に越したのですが、その家の目の前にも、小川が流れていました。東京に出て住んだ家も、引越し先の家も、また引っ越した家も一級河川の脇でした。川辺は、父が好んだ地だったのでしょうか。中国の華南の街に住んだ時も、しばらく歩くと川幅が驚くほどの大河の近くだったのです。

 帰国した今も、江戸の町と繋いで、舟運の行われた、巴波川のほとりに、また住んでいるのです。川と深い縁(えにし)があると言えるでしょうか。朝な夕なに、流れに目をやると、鴨や白鷺や鯉の姿が見られます。今朝、起き抜けにこの流れ行く水面を眺めて、この流れが、世界中の川に繋がっているのを感じて、不思議な感動がありました。

 長明は、無情を語り、儚さを嘆き、全てが流転(るてん)し、移り変わる浮世を憂えたのです。なんて暗くて、希望がなくて、定まらないのかと、読んで嘆息しました。人の一生は、川の流れに似て、流れに澱(よど)む泡沫の様に、いつも間にか消えていき、そして新しい泡(あぶく)が浮いてくると言うのです。人の一生とは、そんなものなのでしょうか。

 確かに、ソロモンが記したとされる、「伝道者の書」にも、厭世的な風な箇所があって、定められた時が、何事にもあると言います。それは、偶然ではなく、また刹那的でもなく、時を支配される神がいらっしゃると言う意味で、言及しています。

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者3章11節)』

 人の一生は、人の願いではなく、神の支配に属しています。神さまが、人の創造者で、いのちの付与者でいらっしゃるからです。生も死も、主が定められておいでなのです。そういえば、自分の一生を思いますに、もう3年、長くて5年ほどで、平均余命の様に思えるのです。でも神を知り得た者には、「永遠」という時が約束されています。

『御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(新改訳聖書 黙示録22章1~2節)』

 イエスの弟子のヨハネは、パトモスで幻を見て、それを書き記し、諸教会に送りました。やがてくる終わりの日の様子を驚きの中で、幻の内に見たからです。

 その書き残したことが、連続的に、すでに起こり、なお続き、やがて終わります。新しい天と新しいエルサレムが、着飾った花嫁の様に降ってくるのを、ヨハネは目の当たりにします。

 新しいエルサレムの都には、「いのちの水の川」が流れていて、その河岸には、「いのちの木」が生い茂っていて、諸国の民を癒す「木の実」が、毎月成るのです。私の頂いた信仰は、文字通り、その様な川、木、実りのあることを信じさせてくれるのです。贖われた者たちが、喜び楽しんで、永遠に生き続けるためにです。止まることなどない泡沫の様な出来事ではなく、「万物の更新」の時が、やがて来るのです。

 私は、「いのちの水の川」」のほとりに立つ日を待ち望みつつ、この地で待ちます。

(県北を流れる「湯西川」、「巴波川」です)

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