異邦人

.

.

『また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(ローマ15章9~13節)』

 聖書で、パウロは、旧約聖書を引用して、神に選びの民、イスラエル以外の諸国民、「異邦人」に向けて、こう言うのです。神なき民の子孫の私たちに、「この方に望みをかけ」る様に勧めています。

 久保田早紀が歌った「異邦人」の歌詞では、「シルクロード」をイメージして、アラブ世界の様子を漂わせた意味で歌われたのですが、それとはちがって、イスラエル人、ユダヤ人以外の人を意味して、パウロは、「異邦人」と言います。

 パウロが、イスラエル人である、民族的な優越感によって、蔑(げす)んで、そう言うのではありません。太陽や月や星や、鋳たり刻んだりした像に向かって、『神よ!』と呼び続けてきた、異教世界の人たちに向け言うのです。

 若かった時に、住んでいた町の一廓に神社がありました。人通りがありませんでした。その神殿に祀られている御神体と言われるものが何か見たくなったのです。それで、辺りを見回して、人のいないのを確かめて、その祠の部分を開けたのです。何があったとお思いでしょうか、「石ころ」でした。宝石でもなんでもなく、道端で見かける様な小石でした。

 それは、どう見ても、御神体にふさわしくありませんでした。ある部落に、神社がなかったのだそうです。それで、みんなでお金を出し合って、神社を創建したのです。建物はできたのですが、御神体がありません。そこで、何を神にするかを協議したそうです。それで意見が一致したのは、村の脇に流れる、川に行って、朝一に流れてくる物を御神体にしようと決めて、代表者たちが、身を清めてでしょうか、川に出かけたのです。

 何と流れてきたのは、「草鞋(わらじ)」、しかも、使えなくなって捨てたとしか思えない様な物でした。でも、取り決めたことでしたから、その草鞋を持ち帰って、神殿に納めたのだそうです。 

 草鞋に、藁をないで、作った作り手がいるのですから、そんな作業をした人を造られた神がいるに違いありません。このパウロは、

『それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。(ローマ1章25節)』

.
.

と言っている通りです。群馬県人だった内村鑑三という人は、子どもの頃から、道を歩いて、神社仏閣の前を通る時に、必ず立ち止まって、習慣的に拝礼をしていたのだそうです。ところが札幌の農学校で学び始めた時に、同級生の新渡戸稲造らが、イエスをキリストと信じたことをきっかけに、彼らに勧められて、彼もまた信仰を告白して、クリスチャンになったのです。ただお一人の神を信じ、この神に仕えて生きたのです。

 私は、クリスチャンの母に育てられ、母の生き方、あり方を見続けて、教会学校に連れて行かれ、自分の周りに神と称されるものがあっても、神とは認められませんでした。母が信じ続けてきた、聖書の神こそが、神だと思っていたからです。

 やがて、その母の信仰を継承して、クリスチャンとされました。聖書に記される神こそが神であると、八十路の今に至るまで、「望みある者」として信じ続けてまいりました。それは、ただに神さまの憐れみによる以外の何ものでもありません。今朝も、目には見えない神をほめたたえていられるのです。

(ウイキペディアの「アラビヤの隊商」、群馬の「赤城山」です)

.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください