旬の筍の味覚を

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 「主食」と「副食」という組み合わせが、日本食には、特に強いかも知れません。米飯とおかずという考え方です。昔から、中国でも、南方は米食、北方では粉食が一般的だと言われています。ところが現在では、食の流通がなされて、南でも、餃子、餅(ビンと呼ばれる小麦粉で作った薄焼きの様なもの)、饅頭(小麦粉製の拳大のパンの様なもの)、麺が好まれる様で、街中の食堂は、<◯◯面(麺の代わりに使う漢字です)>という看板の食堂が多くありました。やはり一番目立つ看板は、近隣の田舎の名前をつけた食堂が多く、その田舎の出身者が、好んで利用していたようです。

 それで米食の南方の人に比べ、北方の東北人は背が高いのです。大連に、友人を日本から訪ねたことがあります。知り合いの方が、古着を配布したいとのことで、大量に日本から持参したのです。大連の税関で、官吏に難しい顔で調べられ、結局持ち込みが許されたのですが。

 その時、街中を散策したのです。何と、大連人は、顔が一つか一つ半ほど、背が高かったのです。そんなことがあって、南方に来ましたら、そこに住むみなさんは、それほど高くないので、その地域差に驚いたのです。

 日本人が「餃子」を食べますと、それは「おかず」になり、米飯を食べ、味噌汁を飲み、野菜の煮物、葉物のおひたし、漬物などで食事を摂ります。ところが、中国のみなさんは、「餃子」は、小麦粉の皮に、肉、野菜などが入っていますので、<主食と副食>が一まとめになっていますので、茹で汁をスープに、酢醤油に大蒜(ニラ)を入れた薬味で食べて、食事にします。帰国以来、餃子を作りましすと、〈水餃子〉ばかりなのです。

 焼きそばも、お好み焼きも、餃子と同じで、主・副込みの食事なのですが、日本人は、米食がないと物足りないわけです。ずいぶん昔、アメリカ人の事業家と一緒に食事をし、私がカレーを作ってもてなしたことがありました。つまりカレー・ライスにしたわけです。そのカレーには、「馬鈴薯(じゃがいも)」が入ってましたので、『ライスをつけると、重複してしまう!』と、彼が言ったのです。米飯と馬鈴薯では、重過ぎるのでしょう。

 そういえば、母がうどんを作った夕食に、米飯も添えてあり、おかずも添えられていたのを思い出します。母も根っからの日本人だったわけです。米飯に、いただいた美味しい南瓜をオリーブオイルで焼いたもの(ホクホクしていました)、豆腐をフライパンで焼いたものに生姜醤油をかけたもの、そしてホーレン草のおひたしで、肉・魚なしの夕食の時がありました。どうしても、〈炭水化物過多〉の食事になってしまうのは、今や時代遅れでしょうか。

 昨日は、〈100円バス〉に乗って、道の駅に、「枝垂れ桜」を観に行き、そこの売店で、搗き立てのお餅を買って帰りました。夕食に、お雑煮を作ったのです。桜の咲く時期にも美味しく頂けたのです。一昨日の作り過ぎの酢豚がおかずで、二晩連続になってしまいました。にぎやかだった子育て時代を思い出しながらの二人の夕食も感謝であります。そうそう、近くに住んでおいでの方から、筍を頂きましたので、皮をむいて鰹節などで味付けをして添えました。これも旬(しゅん)の春(しゅん)の味覚を満喫したのです。

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