週初め、宇都宮に、「まちなかメディカルカフェ in 宇都宮」の定例の集いがあって、家内と一緒に行って来ました。以前、一緒に礼拝を守っていた姉妹の紹介で、この会を知ったのです。県都には、行く機会が少ないのですが、久し振りでした。この東武宇都宮駅の近くに市の福祉センターがあって、その10階の窓からの宇都宮の近傍の景色は、美しかったのです。
子どもの頃、山間部の家から、街に連れ出してくれた父が、父に事務所のすぐそばに、一軒の百貨店があって、そこの屋上に、「観覧車」がありました。それに兄弟みんなで乗せてもらった覚えがあります。兄たちは、父の会社の索道というケーブルに乗って、山奥の採掘場や材木置き場に連れて行ってもらったことがあったようですが、幼い弟と私には、父は許可しませんでした。
それでも、百貨店の屋上で、その上で回転して上下する観覧車に乗った記憶があるのです。昨日、私たちの降りた東武宇都宮駅の古写真があって、その屋上の風景も映っていました。そこに「観覧車」が写っていて、子どもの頃を思い出したのです。周辺の子どもたちも、一度や二度は、ここの百貨店に連れて来てもらって、観覧車に乗ったのでしょう。デズニー以前の世の中でした。
お昼には、百貨店の上階に大食堂があって、そこで「お子さま昼食(あの頃はランチなんて言わなかったでしょう)、カレーだったか、オムライスだったかを食べたんじゃあないかな、と思い出しています。古き良き時代だったのです。
そういえば、「サーカース」にも、父は連れ出してくれたのです。ライオンはいなかったのですけど、馬とかピエロとか、空中ブランコなんかがあったのだと思い出します。街は賑やかでよかったのですが、自然が溢れた山の中で、幼児期を過ごせたのは、はるかによかったと思すのです。
東京に出て来て、級友の女の子が、「バター屋」をしていると聞いて、弁当箱を持って買いに行ったことがありました。肺炎になって退院してから、父は、滋養強健のために、瓶に入ったバターを、いつでも舐められるようにしてくれていたので、自分でも買ってみようと思って、母におねだりしたのでした。ところが、廃品回収をする人を「バタ屋」と言うのだそうで、何も買えずに家に帰って来たのです。
兄たちも弟も、バターを食べるのを、父に禁じられていたのだそうで、「一人天下」だったのを思い出して、特別扱いの子ども時代を思い出して、兄弟たちに申し訳なさを覚える今の私です。
(以前の「東武百貨店」です)
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