神奈川県

.

.

 父の出身は、神奈川県横須賀市でした。旧制の横須賀中学校に、『試験官の前で、教育勅語を暗唱したら、合格にしてくれたよ!』と、父一流の言い方を面白く話してくれたことがありました。旧日本海軍の技官を祖父に持つ、軍人の家庭で生まれ育っています。武士や軍人の家庭らしく、ずいぶん厳しく躾けられたのだ、と言っていました。曽祖父は、日本が、軍艦をイギリスから購入する時には、その使節団の一員だったのだそうです。

 その時、羊毛の毛布を買って来て、父の家にしまわれてあったのです。肺炎に罹って、死にそうになった私に、冷えないように体を温めるために、それを横須賀に行って持ち帰って、入院した私にかけてくれた父でした。父の義母の葬儀に、なぜかp三男の私を連れて行ってくれました。

 そんなで、父の生まれ育った横須賀、神奈川県は、生まれた県、育った県についで思い入れのある県なのです。すぐ上の兄と弟で、叔母と従兄弟の住む、父の生家を訪ねたことがあります。私が華南の街から帰国した時、兄たちに誘われてでした。叔母から、父の昔話を聞きたかったのですが、あまり聞き出せず、残念だったのです。帰りに、「三笠」と言う旧海軍の軍艦が停留されて記念館になっていて訪ねたり、お昼にお寿司をご馳走になったのに、名物の「横須賀カレー」、そして焼き鳥を食べたのです。

.

 旧軍港を遊覧する船にも乗ったのです。父が中学生の時、その浦賀水道を遠泳したそうで、父の「垂乳根の故郷」が、本当に自分の故郷のような思いにもされたのです。かつて征夷大将軍になった源頼朝の家来だったとかでしたが、今になると、『それが何なの?』の父唯一の自慢話でした。この街に教会があって、『親爺が連れて行ってくれたよ!』なのだそうで、『主われを愛す 主は強ければ 我弱くとも 恐れはあらじ・・・』を愛唱する父でした。

 高校の頃、県下の湯河原に海水浴で一夏遊んだことがありました。上の兄の同級生のお父さんの会社が借り切っていた家に、兄に連れて行かれて、食事やおやつや飲み物付きで、2週間も水泳三昧だったのです。早朝、浜で網にかかった小アジを買って、親指でお腹を裂いて、わさび醤油で食べさせてもらった味が、今も思い出されます。

 相模川の上流に、受験期に、四、五人で出かけて、川遊びをしたりで、受験の圧力から逃れた時がありました。結局、特別な受験勉強などしないまま進学してしまいました。今思うに、進学したから、どこどこ大学に入れたから、何をやってきたかなど、まるで大きな問題でも、決断でもなかったのだと思わされています。これからを思う日々に、様々に思い出しています。

.

.

 横浜にある大きなデパートで、「鏑木清方(かぶらききよかた)展」が開かれた時、『会場警備のアルバイトがある!』と横浜在住の友人に誘われて、学生服を着て、展示場の警備をしたことがありました。優しい筆で女性を穏やかに描いていて、浮世絵師の流れを汲む、その高名な日本画家の絵に圧倒されました。鏑木清方は、晩年を鎌倉で過ごしています。

 私は、明治学院で学んだのですが、ローマ字を紹介し、医師であったヘボン(Hepburn )は、神奈川宿の成仏寺に、幕府の監視のもとに住みます。『毛唐を切り捨てる!』と、用人として紛れ込んだ暗殺者が、仕える内に、ヘボン、その人格の高潔さに、暇乞いをして去ったと言う逸話が残されています。その横浜に、男女共学の「ヘボン塾」を開き、それを母胎にして、築地に用地を得て、「明治学院」を開学しています。

 下の息子を連れて、小田原に行ったこともありました。北条氏の小田原城(改築)の天守閣に登って、「相模国(さがみのくに)」を眺め、相模湾に目をやった思い出があります。日本史を学んだ者として、明治維新を遂行した薩長軍が、徳川幕府を支持した藩の城を焼き払ったり、解体してしまったことは、愚行でした。歴史的な建造物を破壊してしまったのは、あの日のタリバンと同じで、組織は倒しても、歴史的な遺跡となるべきものを保護しなかったのは極め付けの愚かなことでした。

 そういえば、箱根で、親しく交わりをしていた諸教会の「聖会」が行われて、何度か参加しました。内村鑑三は、「夏季学校」で、「後生最大遺物」に説教を、大勢の若者に向けて語り、どう生きるかを説いたのです。『  ♯ 箱根の山は天下の剣』と歌われた東海道に関所付近は、素晴らしい経験の地で、何度行っても美しいと思わされました。小学校の担任が、江戸幕府の教えの中で、〈出女入り鉄炮〉を警戒していたのだと学んだのが、妙に印象に残っています。『関所役人が目を光らせていたんだろうな!』と思ったものです。

 人口924万人で、県民気質として、好意的であっても爆ても。次のような点が挙げられています。

1  かっこつけが多い  見栄っ張り  3  プライドが高い  4  出世欲があまりない  5  趣味や遊びが大好き  6  社交的  7  せかせかしていない

 父のことを思い出して、父もこの七点に近いのではないでしょうか。と言うことは、父に似た自分の優点であり、劣点であるかも知れません。これで生きて、他の人に迷惑をかけないように生きて来たので、人生及第ではないでしょうか。

(「横須賀カリー」、「鏑木清方」の絵です)

.