秋と学校と給食

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♭ 秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)

溪(たに)の流に散り浮くもみじ
波にゆられて はなれて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦(にしき)♯

 もう一度、学校に通えるなら、小学校に行ってみたいな、と思っています。教室の後ろや廊下、ついには校長室まで立たされたわりには、〈苦味〉など全くないからでしょうか。担任は歓迎してくれなくとも、学校に行けるのは嬉しかったのです。肺炎をぶり返さないように、母は細心の注意を払って育ててくれましたから、熱や咳が出ると、死なせまいと、すぐに国立病院に連れて行ってくれました。病欠児童の私は、学校に行けると嬉しくてはしゃいでは叱られたのです。

 6年になっても、私の通った小学校には、「給食」はありませんでした。次の年度から始まったようです。その給食を食べたのは、卒業した小学校の庭に、住居跡の遺跡があるとのことで、私の入った中学校と高等部の考古学研究部が、その発掘をした時に、誘われて参加して、その間、給食を食べさせていただいたのです。きっと校長先生のいきな裁量で、そんな機会が与えられたのでしょう。

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 とても美味しかったのです。ですから、当番が配膳してくれて、みんなで、『いただきまーす!』と言って食べた経験はないので、その給食を食べに、もう一度小学校に行ってみたいのです。私たちの四人の子どもたちは、授業計画表は見ずとも、給食表だけは見て、登校していきました。よく歓声を上げていたのは、〈きな粉パン〉でした。親ながらも、それが羨ましかったのを覚えています。

 そして、今度は、しっかり椅子に座って、立ち歩きをしたり、隣の女の子にちょっかいを出さないようにするつもりです。そんな私を、担任が見たら、ビックリギョウテンしてしまうことでしょう。あの小使いのオジさんの打ち鳴らす鐘の音が聞こえてきそうです。秋には、「紅葉(もみじ)」を歌ったのを思い出します。これからの季節、冬には、石炭ストーブが真っ赤に燃えていたのです。溢れる想いが湧き上がって来てしまいます。秋って想い出がいっぱいです。

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