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「弱虫」、神に祈るなんて、弱虫に違いないと思われるでしょうか。でも、生死の絶対的な場面で、どんな人でも、《神頼み》をします。信じていても、信じていなくても、助けを呼び求めるのです。なぜかと言うと、人は進化して、原子から、人になったのではないからです。人は「人」として、意図されて、最高傑作として、神と人格的な交わりができるように造られているのです。
有名な祈りがあります。それはイギリスの首相をした、Stanley Baldwin(スターリン・ボールドウイン)の「祈り」なのです。
『イギリス議会の歴史の中で、「ボールドウィン首相の祈祷演説」と呼ばれている出来事があります。一九二五年、当時の首相ボールドウィンは、議会における長い演説の真っ最中に、祈りを始めました。「天の父なる神さま・・・・」。数分間続き、祈り終えると、また演説の続きに入ったというのです。国は、第一次世界大戦を越え、しかし立ち直る間もなく、第二次世界大戦へと動いていくのです。彼は、二つの世界大戦の期間を、三期首相を務めます。国が危機的な状況にあるのを痛感し、自分がいかに非力であるかを認めて、議会の集団を前にした首相が演説の途中で遜って祈りに入っていきました。
その不安げな首相の姿に、議会と国民は失望したのでしょうか。いいえ。神の御前に遜って自らの非力を認め、神の導きと力を祈り求めることは、指導者の情けない姿ではなく、また聞く人々を不安におとしめるものでもありませんでした。それは、指導者の神に対する信仰の現れであり、その真実な姿に人々は心動かされ、その祈りに自分たちの祈りを重ねたのです。
神の御前に遜って自らの非力を認め、神の導きと力を祈り求めることは、指導者の情けない姿ではなく、また聞く人々を不安におとしめるものでもありませんでした。それは、指導者の神に対する信仰の現れであり、その祈りによって人々は平安を得たのです。』
私は、その「祈り」を、祈りながら育ててくれた母から学んだのです。『今度肺炎にかかったら死にますから、絶対に風邪を引かせないようにしてください!』と医者に言われた母は、病院に、私を連れて行きました。医者や薬も、神様の福々の手段だと信じていたからです。それで医者に行き、処方された薬を飲ませてくれました。狂信者ではなかったのです。カナダ人宣教師に、子どもの時に教えられた通り、岐路に立たされたり、迷ったりして、重大な事態に、「祈り」を忘れませんでした。
それで、76才の今まで、私は生きることができ、神に仕えてきました。そして、人のために祈りをしてきました。今も祈っています。神さまはお聞きくださるからです。祈りには。すぐに聞かれる祈り、待たなければならない祈り、聞かれない祈りがあります。これは詭弁や誤魔化しではないのです。
神の子である、イエスさまは、父なる神に祈られ、祈るように命じました。ですから、イエスの弟子である私は、祈るのです。また人に、「祈り」を勧めてきました。
『あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6章6節)』
この《単純な信仰》を母に教えられて、いまだにそれを守って生きています。《祈る子》を育てることは、母親の最高の母業に違いありません。本当は、弱虫なので、神により頼まずにはいられないからです。さあ神に祈ってみませんか。《イエスの御名によって》です。驚くべきことが起こるに違いありません。たとえ何も起こらなくても、神に出会えるかも知れませんから。
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