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今年の4月4日は、家内と私の《銀婚》の記念日でした。1971年4月に、結婚をしたのです。普通は、花嫁の夢をかなえる新婚旅行に出かけるのですが、私は、その願いを叶えて上げませんでした。どこに行ったのかと言いますと、茨城県下の「霞ケ浦」だったのです。
どうして「霞ケ浦」だったのかと言いますと、かつて、そこは海軍予科練の飛行学校があって、国を守ろうとした若者たちが、機影を湖に映しながら、飛行訓練に明け暮れた地だったのです。少年の日に、予科練に憧れ、潔く国を守るために殉じていった彼らが汗と涙を流した地に、私は行ってみたかったのです。
今思うと、それって独身時代に済ませておくべき事なのに、女性にとっては記念に残したい人生最高の event の旅行の願いを叶えてあげられなかったことを悔やんでも後の祭りです。でも、家内は黙ってついてきてくれたのです。そして、教師を辞めた私の歩みに、ずっとついて来てくれ、海まで渡って、華南の地で13年も過ごしたのです。
そうなんです、私にとっての茨城県は、新婚旅行の地であっても、「軍国少年」の思いを葬る旅であったのです。土浦から船で潮来に行きました。戦前戦時中に、海軍航空隊があって、若者たちが飛行訓練をした出来事など全く予想もできないほどに静かな佇まいでした。その街には、今は自衛隊が駐屯し、予科連の記念館があります。
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今は栃木県民になった私たちですので、小山からJR水戸線に乗ると、県都の「水戸」に、2時間半ほどで行くことができます。かつては「常陸国(ひたちのくに)」、「常州(じょうしゅう)」と呼ばれ、律令制のもとでは、「東海道」」の北端で、北は「陸奥(むつ)」でした。
上野からJRの「常磐線」が、茨城に延びています。次兄が、この常磐線の沿線にいたことがあって、学校に行っていた頃に、何度も乗ったことがありました。知人に水戸の出身の方がいて、名物の梅を和菓子にしたお土産を、よくいただきました。平地が多く、農業のための環境が整っていて、昔から全国上位の農産品の生産県です。東京の台所を預かる東京中央卸売市場の農産品の入荷は全国一だそうです。
茨城県は、高級和服の生地の絹織物の「結城紬(つむぎ)」が有名です。奈良時代に始まり、私たちの栃木県でも作られているようです。私の弟の教え子が、観光ホテルの女将で、東日本大震災の後に、被害状況を知りたくて、茨城県の海岸に出かけた時に、泊めていただき、近くの岡倉天心の「六角堂」も津波にさらわれていて、それが再建されているのも見ました。「五浦」を、「いずら」と読むそうですが、難読地名でした。
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ここ栃木の街はカラスが多いのです。それで、よく歌うのが、「七つの子」です。これは、作詞が、野口雨情、作曲が本居長世で、作詞者の野口雨情は、この茨城県の出身なのです。
からす なぜなくの
からすは やまに
かわいい ななつの
こがあるからよ
かわい かわいと
からすはなくの
かわい かわいと
なくんだよ
やまの ふるすへ
いってみてごらん
まるいめをした
いいこだよ
かわい かわいと
からすはなくの
かわい かわいと
なくんだよ
やまの ふるすへ
いってみてごらん
まるいめをした
いいこだよ
そんなことを思い出しています。海を見たくなることが時々ありますが、湘南に行くのは便利ですが、心情的には、お隣の茨城の海なので、来年あたりは出かけられるでしょうか。好きな味噌汁の実が、シジミなのですが、栃木県の那須を水源にする那珂川の最下流にある「涸沼湖(ひぬまこ)」は名産地で、ここにも《シジミ党》としては、いつか行かなくてはなりません。
(「霞ケ浦」の風景です)
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